“がん死大国”日本 欧米に遅れをとる「がん教育」補習講座――中川恵一(東京大学医学部附属病院准教授)

ライフ週刊新潮 2016年10月6日号掲載

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 長寿大国なのにがんによる死者が増え続ける日本。この不条理を無くすため、学校で「がん教育」が始まる。そこで教わる「原因」と「予防」、そして「治療」とはどんなものなのか。がんのことを教わってこなかった大人のために東大准教授の中川恵一氏が開く「補習授業」。

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 先の都知事選では、小池百合子氏が鳥越俊太郎氏を大差で抑えて当選しました。私は2人の政治的主張については詳しくありませんが、一点だけ、「よくぞ言ってくれた!」と感心したことがあります。それは鳥越氏の選挙公約でした。

 鳥越氏は、かつてステージ4(進行がん)の大腸がんになったものの、それを克服した経験があります。その鳥越氏が会見ではフリップを掲げ、

〈がん検診100%〉

 と公約にしたことが話題になりました。がん検診なんて東京都政には関係のないことだと批判されましたが、長年、この問題に取り組んできた私は、もう嬉しくなって鳥越氏に直接電話を入れ、感謝のメッセージを伝えたほどです。

 がんが日本人の死因のトップになったのは1981年。それ以降、増え続けて今では年間約100万人ががんになります。ご存じのように、日本人の半分ががんになり、3分の1が死ぬ時代。まさに「国民病」といわれる所以(ゆえん)ですが、しかし、このことは、裏返せば日本の「がん対策」がそれほど遅れていることを意味してもいる。気が付けば、世界的にも日本は「後進国」になってしまっている現実を忘れてはなりません。

 医学が発達しているはずの日本が後進国なんて、バカを言うなと思う人もいるかも知れない。しかし、データは嘘をつきません。

日本人のがん死亡のグラフ

■米国より1・66倍

 例えば、10万人あたりのがん死亡者数を日米で比較してみます。

 1991年 

 日本 175・75人
 米国 215・1人

 2009年

 日本 270・31人
 米国 173・1人

 2011年

 日本 280・68人
 米国 168・7人

 どうでしょう。

 20年ほど前まで、米国より死亡者数が少なかったのに、いつの間にか逆転し、最近では米国より1・66倍も亡くなる人が多い。しかも、気になるのは、米国ではがんが減り続けているのに、日本では増えているという事実です。

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 欧米全体で見てもがん死は減少傾向にあります。長寿大国のはずの日本は、今や“がん死大国”になっている。なぜ、こんな事が起きているのでしょうか。

■「情報」は溢れているが

 世の中を見渡せばがんに関する情報は過剰なほど溢れています。テレビを見れば医療ドラマ、インターネットでは健康情報がこれでもかというほど公開されている。

 検査にしてもそうです。インターネットで検索すると「PET検査」の広告がずらりと出てくる。10万円以上するものもある高額な検査ですが、皆さんが、自分の身体を心配していることがよく分かる。でも、死亡者が減っている欧米では、それほど流行っていません。なぜ、そうなのかは、後ほど説明します。

 また、患者さんと話していると「がん家系」という言葉がよく出てくる。親や祖父母にがん患者がいたから、自分も同じ体質だというものです。実際に遺伝が原因となるがんは全体の5%ほどしかありませんが、これを信じている人は少なくありません。

 少し前のデータですが、09年9月に内閣府が行った「がん対策に関する世論調査」というアンケートがあります。そこには、がんを予防するために、どんなことを実践しているのかという質問があるのですが、何と回答の第1位は、

〈(食物の)焦げた部分は避ける〉(43・4%)

 というものでした。また、こんな回答もあった。

〈日光に当たりすぎないよう心がける〉(19・5%)

 食物の焦げた部分というのは、動物性たんぱく質が焦げると発がん物質になるという研究があります。しかし、毎日焦げた部分だけを大量に食べないとがんにはなりません。また、日光については、確かに白人男性は皮膚がんの危険性がある。ですが、日本人に関しては、太陽光を浴びたほうが体内のビタミンDが活性化されて、むしろ予防になるのに、「日光=がん」と信じ込んでいる。

 情報が溢れていても、間違ったものや迷信が日本人の固定観念になっているのです。がん対策というけれど、「敵」を知らなければろくなことになりません。統計によると、がんを告知された人の自殺率は健常者の20倍になる。ちょっとした(正しい)知識で運命が変わるのに、実に勿体ないことです。

■「がん教育」

 残念ながらがんの知識ということにおいて、日本と欧米の間には彼我の差があります。アメリカなどでは早くから授業でリスクや予防について教え、高校生ぐらいになると患者を呼んで体験談を聞いたりしています。たとえば白人の多いオーストラリアでは皮膚がんにならないよう、小学生の頃から紫外線について教え、キャンペーンを行ったりもしている。

 日本では、07年に「がん対策基本法」が施行されており、基本計画は「がん対策推進協議会」が作っています。私は当初から委員をやっていますが、計画が見直される4年前、ようやく「がん教育」という項目を入れることが出来た。大人の社会が変わってくれないのなら、まず子供たちに何がリスクなのか、予防のために何をしたら良いのかを学んでもらうためです。

 実際の授業は来年から始まりますが、保健体育の時間に教えることに加え、学校単位でがん患者や専門医の話を聞いてもらうことを考えている。すでに授業を進めるための研修会や模擬授業も始まっています。

 私もこれまで80回ほど子供たちを相手に講演をやっていますが、実に熱心に聞いてくれる。「逆世代教育」と呼んでいますが、これからは親が知らない知識を子供たちが知るようになります。

 そこで、大人の皆さんには、子供たちに教えるがん知識を改めてお伝えしたい。学校では教わらなかったのだから「補習」のつもりで読んでください。

■“安全運転”

 交通事故死とがん死は似ている――そう言うと意外に思われるかも知れません。でも、共通点は結構あるのです。

 ご存じのように、日本人のがんは大腸、胃、肺の順に多い。全体では、これに女性の乳がん、子宮頸がんが加わりますが、その約3分の2が生活習慣から来るものです。また、細菌やウイルスから来ているものもある。ここでは研究で分かっているがんの「リスク」を改めて覚えておきましょう。

 統計でもはっきりしていることですが、タバコを吸う人が肺がんで死亡する危険性は、吸わない人と比べると男性で4・8倍、女性で3・9倍です。また、タバコの影響は若い人ほど受けやすい。

 塩分の多い食べ物の取り過ぎは、胃がんになる危険性を高め、逆に野菜や果物は食道がんや胃がんのリスクを低くします。熱い食べ物は食道がんを引き起こしやすく、大量に飲酒すると、アルコールが通過する口腔、咽頭、食道のがんリスクが増大します。もちろん、アルコールを処理する肝臓もです。無視できないのは肥満で、太っている人の方ががんが多いことが分かっている。

 細菌やウイルスとの関連性もかなりのことが分かっています。胃がんに関しては原因の95%がピロリ菌感染によるもの、肝臓がんは肝炎ウイルスの感染、子宮頸がんもヒトパピローマウイルスによって引き起こされます。これらについては、予防法も普及して来ました。

 このリスクを知ったうえで具体的には、タバコを減らしたり止める、晩酌の量を少なめにする(日本酒では1日1合が適量)など、生活習慣に気を配る。これが車でいう「安全運転」にあたります。

 しかし、がんは運に左右される面もある。実際、生活習慣には何の問題もなくてもがんになる人がいます。安全運転は必要ですが、それでも事故に巻き込まれることがありますよね。交通事故死と似ているというのはそういうことなのです。

 車だったら、そのためにシートベルトやエアバッグを義務付けている。がんでは、これが「定期検診」にあたるのです。現在は、例えば胃なら40歳以上は年に1回のバリウム検査だったものが、今年から50歳以上は2年に1回、バリウムか内視鏡検査、というふうに変えられました。リスクの度合いや受ける人たちの負担も考えて、少しずつ変えているのです。

「国民生活基礎調査」(13年)によると男性の胃がん検診率は…

■半分も検診を受けない

 なんだ、そんなことは知っていると言われるかも知れません。しかし、シートベルトと違って受診率となると、実態はひどいものです。「国民生活基礎調査」(13年)によると男性の胃がん検診率が45・8%、大腸がんは41・4%。女性でも乳がん検診率は34・2%しかありません。ざっくり言って、半分の人がシートベルトなしで運転しているのと同じです。

 しかし、こういう数字を知るとどうでしょうか。大腸がんを例にとると、1期(早期)で発見すれば5年生存率は98%。でも、ステージ4になると14%まで下がってしまう。早期発見がいかに大事か分かるでしょう。では、早く見つけるためにはどうするべきか。そこで役立つのが、健康診断のなかでも皆やりたがらない「検便」なのです。この検査は、がん検診のなかでも最も有効とされていて、検便だけで大腸がんの死亡率は3割まで下がる。

 読者の中には、定期検診を受けても検便は出さなかったという人もいるでしょう。家でウンチを採るのはどうもやりにくい。別の機会に自費でPET検査を受けるから今回はパスと考えている方もいるかも知れません。しかし、PET検査で早期の大腸がんは、まず分かりません。

 先にも述べましたが、先進国のなかでこれほどPET検査が流行っている国はありません。強いて言うなら日本と韓国、台湾ぐらい。欧米でPET検査が流行っていないのは、病巣発見に役立つことが立証されていないからです。

 子宮頸がんも受診率は32・7%と先進国と比べてとても低い(欧米は約8割)。この病気はワクチンと検診によって死ぬ人がほとんどいなくなるのに、ワクチンの副作用ばかりが大きく報道され、結果、先進国で日本だけが増えている。異常な事態というほかありません。

特別読物「2人に1人が罹患の国民病! 日本人のためのがん補習講座」より

中川恵一(なかがわけいいち)
1960年生まれ。東京大学医学部卒、スイス・ポール・シェラー研究所を経て現職。放射線医としてがん患者の治療に携わる一方、全国でがんの予防と治療の啓発に関する活動を行う。主な著書に『がんの練習帳』(新潮新書)など。