“がんの王様”すい臓がんの最新治療…抗がん剤、ナノナイフ

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 主たる自覚症状なし。発見された時にはほとんどが末期のステージIVで、5年生存率はわずか1〜2%。すい臓がんが、この難病の中でも最も怖ろしい「がんの王様」と呼ばれる所以(ゆえん)だ。しかし、そのすい臓がんの治療現場の光景も近年、劇的に変化しているという。

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「神の手」の異名を持つ上坂克彦氏

 すい臓の膵頭部と十二指腸、胃・胆管・主膵管の一部、胆嚢をまとめて取り除く。そして小腸を下から引っ張り、残った胃、胆管、主膵管と接合させる。膵頭十二指腸切除術は複雑で、すい臓がん手術の中でも特に難しい。腫瘍が門脈に浸潤している場合はさらに困難になり、手術時間は6〜8時間に及ぶ。一般の総合病院では年間10〜20例行っていれば評価されるこの難手術を、100例近くもこなしている医療機関がある。静岡県立静岡がんセンターだ。ここですい臓がん治療を主導する名医を、業界の人間はこう呼ぶ。

「神の手」──。副院長兼肝・胆・膵外科部長の上坂克彦氏である。

「神の手なんて存在しません。もちろん信念と技術は必要ですが、私にしかできない手術などありませんよ」

 当の上坂医師はこう謙遜するが、彼らがこの分野で画期的な成果を挙げているのは紛れもない事実だ。上坂医師のチームがまず着目したのは、2007年、ドイツで発表されたある臨床試験の結果だった。すい臓がん手術を行った患者に抗がん剤「ゲムシタビン」を投与したところ、手術だけの患者の5年生存率が10・4%だったのに対し、20・7%と倍の延命効果があったのだ。

「『手術後の抗がん剤投与』が生存率を上げることを証明する初のエビデンスでした。そこで私達は07年からゲムシタビンと抗がん剤『S-1』を比較する臨床試験を行った。全国33カ所の医療機関で385例の患者さんを対象に実施しました」(同)

 その結果は世界中が驚愕するものだったという。

「ゲムシタビンの5年生存率は24・4%でしたが、S-1を投与したグループは44・1%という驚異的な5年生存率を記録したのです」(同)

 この結果を紹介した論文が、今年、世界的権威のある医学雑誌「ランセット」に掲載された。

「なぜゲムシタビンよりS-1の方が効果があったのか。すい臓がんが術後に再発するのは、肝臓への転移である場合が多い。その点、S-1はこの肝臓への転移を強力に抑えているようなのです。今後の目標は、『手術後の抗がん剤投与』治療の5年生存率をさらに50%まで上げることです。手術ができれば、2人に1人が助かる時代になるわけで、10年前までなら考えられない進歩です」(同)

 希望の光が見えてきた。もっとも最初から手術不能の患者はどうすれば良いのか。なにしろすい臓がんの場合、発見時に手術が可能なのは30〜40%に過ぎない。そうした患者の臨床研究に積極的に取り組む医師がいる。名古屋大学病院消化器外科の藤井努准教授だ。

「以前は『切るかどうか』しかなかったすい臓がん治療ですが、近年は手術・抗がん剤・放射線を上手に組み合わせ、戦略を立てる『集学的治療』の重要性が認知され始めました。目標は、切除できないと診断された患者さんに対し、集学的治療で手術までもっていくこと。当院では10年から16年にかけ、門脈や動脈への浸潤があり、手術不可能なすい臓がん患者87例に対し、8カ月かけ、S-1よりさらに強力な効果がある抗がん剤『フォルフィリノックス』もしくは『ナブパクリタキセル』の投与と、放射線治療(1カ月半)を行って、手術を目指す臨床研究を実施しました」

■3000ボルトの高圧電流

新兵器「ナノナイフ」

 結果はどうなったか。

「手術ができるようになったのは71%。しかも2年生存率はそれまでの7%から66%と飛躍的に伸びました。まだ時期的に5年生存率は出せませんが、現在、5年を経過して生きてらっしゃる方もいます。従来は手術ができなければ、皆、2〜3年以内に亡くなってしまうのが常識だったので、大きな進歩です。病院で“手術は無理だ”と言われても、諦めず、セカンドオピニオンを聞いてほしい」(同)

 しかもすい臓がん治療の世界では、さらなる新兵器も控えている。その医療機器の名はナノナイフ。米国では認可されているが、日本ではまだ承認されていないため、臨床研究として実施されている。目下、この医療機器を国内で唯一、駆使し、治療を行っているのが、山王病院がん局所療法センター長の森安史典医師である。

「超音波の画像ですい臓がんの場所をチェックしながら、長さ15センチ、直径1・1ミリの針を2〜6本、体の表面から入れ、腫瘍を取り囲むように刺していきます。そして針と針の間に3000ボルトの高電圧のパルス電流を流し、がん細胞に100万分の1ミリの小さな穴を開け、死滅させるのです」

 4本の針を使えば、わずか15分間ほどで直径3センチ程度の球状の範囲のがんを死滅させられるという。

「ナノナイフ治療のメリットは、ラジオ波焼灼などと違い、細胞のみを死滅させ、血管や神経などの間質を傷つけないこと。私達は主に切除不能局所進行すい臓がんに対してナノナイフ治療を行っていますが、これにより門脈、腹腔動脈、上腸間膜動脈などの太い血管の構造を残したまま、それらに浸潤している腫瘍細胞だけを死滅させられる効果がある。本来なら手術で取れないがん細胞を的確に死滅させ、腫瘍と血管とを切り離し、手術可能な状態にもっていく。あるいは手術できなくても腫瘍をうんと小さくして、症状を取り、長期間の生存を得るのが目的です」(同)

 この治療で先行する米国では、2015年、ルイビル大学が手術不可能な局所進行すい臓がんにナノナイフ治療を行ったデータを発表した。結果は200例のうち50例が、上腸間膜動脈に浸潤していたがんを剥がすことに成功し、手術可能になった。また、手術できなかった症例も抗がん剤だけの治療に比べ2倍の生存期間が得られたという。

 森安医師は、昨年からこのナノナイフの臨床研究を始め、今年8月の時点までで32例に実施している。

「8月時点で最も経過が長い患者さんがまだ術後15カ月ですから、統計を公表できる段階にはありません。でも、その方はがんの影が消え、外来で抗がん剤の治療を受けながら、元気に普通の生活を送られています」(同)

 このナノナイフも集学的治療の一つに組み込んでいけば、5年生存率はさらに伸びるはずだ。「がんの王様」の制圧にまた一歩近づくことになるに違いない。

特集「日本の『がん治療』はここまで進んだ!」より

週刊新潮 2016年11月10日神帰月増大号掲載