妻が語る江戸家猫八 息子に「ウグイスだけは鳴けるよう」

芸能週刊新潮 2016年12月22日号掲載

 ホーホケキョ。物真似芸人の四代目・江戸家猫八(本名・岡田八郎)は鳥や動物の鳴き真似を“お家芸”にした一方で、長年ゲーム紹介番組の司会者を務めてお茶の間の人気者になった。常に笑顔を絶やさない芸人だったが、妻のシゲ子さんが舞台やテレビでは決して見せなかった夫の素顔と無念を明かす。

 ***

 主人は真面目な人だったと思います。芸に対して、「これではいけない」という気持ちが強かった。お家芸のウグイスを始めとする鳥の鳴き真似には、特にこだわりを持っていました。「自然の中で鳥の息吹を感じることで初めて鳴けるんだ」といって山に入る。年に10〜20回は出かけて、お気に入りは初夏の長野県戸隠高原でした。

 自宅では、デジカメで撮った鳥の写真をよく見ていたので、私や娘は「鳥の写真ばかり見て」とからかっていました。意外かもしれませんが、自宅で物真似の練習をすることはありませんでした。元々、努力している姿を、他人に見られるのが好きではないようでしたからね。

 主人は、勉強した内容をメモ帳に丁寧な文字で隙間なくまとめていました。勉強していたのは野鳥や動物のことだけでなく、政治経済から芸能まで幅広い。不思議だったのは、メモ帳にまとめる前の走り書きを見られるのを嫌がったこと。主人は、「何かあった時に走り書きを見られたくないんだ」といっていましたが……。主人は非常に几帳面な性格で、整理整頓が大好き。自ら死期を悟り病院から自宅へ戻った時も、自分の写真や書籍、ビデオテープなど身の回りの整理を始めたほどでした。

 私は主人より2つ年上でしたが、学年は3つ違い。少し複雑ですが、主人の父親で三代目である江戸家猫八の後妻が私の姉という関係が元々あったのです。その姉から主人を紹介されたのが最初。その後、私は姉を手伝うため住み込みで先代の家に暮らしていました。

 結婚のきっかけは私のお見合い。お見合いをした数日後、同じ屋根の下で住む主人が、結婚したいというようなことをいい出したのです。あの時は、本当に驚きました。それまで主人とは、1度映画館に出かけただけでしたからね。結婚が決まってから式を挙げるまではわずか2カ月間ほどで、1973年1月30日に神宮外苑の日本青年館で挙式しました。

■息子がさりげなく

 主人は江戸家の伝統をとても大切にしていて、その伝統が幹で、個性を枝に例えていました。先代は芸人でもあり、役者でもありました。客寄せでも物真似は2つ、3つしかやらず、多くの時間を話芸に使っていた。主人が若い時には「沢山物真似をやれ。そこから何かを掴め」と。それで主人は、「親父のネタは親父のネタだ。俺のネタじゃない」と口にし、それを実践していました。例えば、ニワトリの物真似をする時、先代は着物姿で座り、扇子を使ってパタパタ羽の音を出しながらコケコッコーと鳴きますが、主人は洋服姿で立ったまま、全身を使って鳴くのです。先代も主人も「大切な物は自分で掴め」という考えだった。

 実は、二代目・江戸家小猫を名乗っている息子の真一郎が高校を卒業する前、腎臓からタンパク尿が漏れるネフローゼという病気になったのです。治療に使用するのはステロイド。副作用で骨密度が低くなり、息子は背骨を何カ所か圧迫骨折して、動くだけで激痛が走る日々。理学療法士の先生から教えてもらった背骨の位置や全身の筋肉を整えるマッサージを、毎晩40分くらい息子にしていました。

 圧迫骨折の影響で、息子の身長は6〜7センチ縮んでしまった。さすがに江戸家猫八を継ぐかどうかの話ができる状況ではありませんでしたが、主人は息子に「跡を継ぐことまでは考えなくていい。ただ、江戸家の伝統芸であるウグイスだけは鳴けるようになってほしい」と。それから私たちが出かけた後、息子は誰もいない家でウグイスの練習をしていたようでした。

 2009年には息子の容態も安定し、整形外科の先生は「奇跡のようだ」といってくれました。その頃、主人と息子が群馬県の法師温泉に野鳥観察に出かけた時、息子がさりげなくウグイスを鳴いた。すると、主人が「一緒にやらないか」といったのです。

 主人が亡くなったのは、今年3月。

「小猫は大丈夫。あいつはできるから、俺は安心している」と。息子にも「猫八の名前を宜しく頼む。いつ継ぐかはお前に任せる」といっていたそうです。

 その一方で、主人は「猫八をせめて10年はやりたかった」といっていました。襲名から6年しか経っていないことを悔しがっていたように見えました。襲名の時期は息子が判断することとはいえ、主人の“10年は”という言葉を考えると、今後3年間は息子が猫八を継ぐことはないでしょう。

特集「デスパレートな妻たち Season5」より