“反安倍”になった右翼教団 日本会議の母体「生長の家」の今
「日本会議」を支援する議員連盟には安倍総理も属している
私たちは、美しい日本の再建と誇りある国づくりのために、政策提言と国民運動を推進する民間団体です――こうHPで謳う「日本会議」は、これを支援する議員連盟に安倍内閣閣僚も多く所属する、いわゆる右派組織である。 その母体は、1930年に創設された宗教団体「生長の家」。こちらも右寄りの教団として知られてきたが、近年、その思想・教義に“異変”が起きていた。「新潮45」10月号に掲載の「『反安倍』となった日本会議の母体『生長の家』」で、フリーライターの藤倉善郎氏がその変化の様を取材している。
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藤倉氏によれば、生長の家はもともと、
〈日本国憲法を改正する「明治憲法復元論」や「紀元節の復活」を主張する「右翼教団」だった〉※〈〉は本文より引用、以下同
そんな生長の家が今年6月に発表した声明文は、古くからの教団を知る人々に衝撃を与えたという。「当教団は、安倍晋三首相の政治姿勢に対して明確な『反対』の意思を表明」「原発の技術輸出に注力するなど、私たちの信仰や信念と相容れない政治運営」「『集団的自衛権』を行使できるとする“解釈改憲”を強行」といった文言で“反安倍”の立場を表明した上、「生長の家の信念と方法とはまったく異質」と、日本会議との決別も主張したのである。
これには「やや日刊カルト新聞」を主宰し、宗教問題に通じている氏も、
〈宗教、とりわけ歴史の長くない新宗教では、指導者の代替わりによって教義や政治的スタンスが変化すること自体は珍しくないだろう。しかし「右翼」から「左翼」へという極端な変化は、生長の家以外では思い当たらない〉
と指摘する。
■3代目・谷口雅宣
〈指導者の代替わり〉がもたらした変化とは、どのようなものだったのか。3代目となる生長の家の総裁は、創始者・雅春の孫にあたる谷口雅宣氏である。〈雅宣に批判的な古参信者たちは、雅宣を「愛国運動嫌い」どころか、はっきり「左翼」と呼ぶ〉という思想の持ち主で、総裁に就いたのは2009年のことである。就任する過程で多くの古参信者や親族までもが教団を離れた。
藤倉氏は、創始者の教えに立ち返ることを主張して発足され、教団と対立関係にある「谷口雅春先生を学ぶ会」代表の中島省治氏に接触している。中島氏は取材に対し、教団が方針を変えた“ターニングポイント”について証言をした。ひとつ目は、信者議員を政界に送り込んだ生長の家政治連合(生政連)が83年に“凍結”(活動休止)されたこと、もうひとつは92年に決定された教祖・雅春の著作が事実上の絶版になったこと。詳しくは「新潮45」本誌に譲るが、いずれも雅宣氏の意向によるものだという。
生長の家(宗教法人生長の家の本部「森の中オフィス」にある神像)
■「森の中のオフィス」
教団は活動の拠点である国際本部を2013年に山梨県北杜市の「森の中のオフィス」に移転している。ここへ足を運んだ藤倉氏は、思いもよらない施設群を見る。約2万坪の森林の中に屋根にソーラー発電のパネルを敷き詰めたCO2排出量ゼロの“ゼロ・エネルギー・ビル”が立ち並んでいた。そこに通う職員の通勤用バスは電動、食堂では飼育時に発生するCO2を嫌って「ノーミートフード」が提供されていた。
〈受付カウンターの壁に教団のロゴマークがあるだけで、見学者の目に触れる範囲に教団ポスターなどの掲示物や祭壇はない〉
〈肉食を推奨しないのは、教祖・雅春の教えでもある。しかし現在、職員が口にするのは「CO2排出量」の抑制という「エコの論理」だ〉
そして藤倉氏は、こう問うのだ――〈これは本当に「宗教」なのか?〉。最盛期の約300万人の信者数から、52万人(数字はいずれも公称)に激減した生長の家の変節を、「新潮45」でより詳しく報じている。