藝大生の“職業病” 最後の秘境「東京藝大」探検記(1)

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 傘を手に駅でゴルフのスイング、料理しながらハミング、知らず知らずやってしまうあれやこれや……「なくて七癖」とはよくいったもので、ひとの内面はふとした瞬間に表に出るものだ。

 上野の森の奥深く、東京藝術大学に棲息する学生もまた、例外ではない。ただ、ひがな一日芸術と向き合い、頭から足の先まで芸術に浸りきっている彼らの癖は、一般的なそれとは少々異なる。全学科の現役学生に話を聞いて『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』を書き上げた二宮敦人さんに、本には書ききれなかった逸話を聞いてみた。

まわりの視線は気にしない

「飲み会などで食器をひっくり返すそうですよ。こんな風に」

 実際に湯呑を返して裏を覗いてみせながら、工芸科陶芸専攻の学生について二宮さんは言う。「裏側はどういう風に処理しているのか、土は何か、などが気になってしまうそうなんです」

 これはまだ序の口。同じ外食中の振る舞いでも、彫金専攻の学生ではまた少し違う。

「食器の素材によって、テンションが上がるそうです。『このスプーン、本物の銀だ!』とか。普段から貴金属を扱っているので、違いがわかるんですね。『本物はやっぱり、重みがあるんです』と、嬉しそうに教えてくれました」

 ふむふむ、やはり普段から扱っている素材について関心を持つ人は多いようだ。そして、建築科の学生になると癖はやや“不審者”っぽくなる。

「壁を叩くというんです」

 実際に喫茶店の壁を叩いてみせようとする二宮さんを止めつつ、詳しい説明を聞く。

「材質を調べているんですね。壁や床の材質が何なのか、どれくらいの厚みなのか、叩いたり触ったり撫でたりすると。もちろん迷惑になるような場所ではやらないそうですが、普段から関心を持っているんでしょうね」

 音楽環境創造科のとある学生の場合、“不審者”の度合いはさらに上がる。前触れもなく「いきなり手を叩く」からだ。

「こう、パンと。ホールとかで手を叩くと。その残響を耳で確認して、ホールの音響の具合を確認しないと、気が済まないようでした」

 ほかにも、演奏会の客席で奇妙な動きをしている人がいたら藝大生かもしれない。

「打楽器専攻の方ですが、オーケストラを鑑賞する際、オペラグラスを構えて、ぐいぐい身を乗り出して見ると言うんです。何を見ているのかというと、打楽器奏者の手元なんですよ。手さばきはもちろんですが、どのメーカーのどのバチを使っているか、まで確かめると聞いて驚きました」

 芸術への、飽くなき探求心の表れなのだろう。もしかしたら、周りからは怪しい人だと思われているかもしれないが……。

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楽器に合わせて体が進化する

 東京藝大は音楽と美術の学部をあわせもつ日本で唯一の大学だ。音楽学部の学生に話を聞くと、癖が自身の体を変えることに驚かされるという。

「背が伸びたそうですよ。指揮科の方に聞いたお話ですが、指揮者は首とか肩とか、腰とかを痛めてしまいがちだそうです。それを防ぐために姿勢に気をつかっていたところ、いつの間にか背が伸びたと」

 二宮さんは他にも、音楽によって体が変化してしまう事例を聞いたという。器楽科弦楽器コントラバス専攻の学生は……。

「着られる服が限られてしまうそうです。というのも、コントラバスを支える左肩の筋肉がもう、ムキムキになるんですって。肩が目立つような服だと、はっきり違和感が出てしまうくらいに」

 邦楽科長唄三味線専攻の学生は……。

「足のくるぶしに正座ダコができると。邦楽をやっている方はみんなあると思う、とのことでした。普段から正座で演奏することに慣れているんですね。1時間くらいの正座なら全然平気だそうです」

 必要な筋肉が発達し、本来の人間の形からは離れていくのだ。

「三味線の撥を持つ方の手を、腕まくりして見せていただいたのですが、絶句しました。可憐な女性の方だったのですが、試しに力を入れてみてもらうと……腕から指先まで、凄まじいまでの筋肉が浮かび上がるんです。まるで肉食動物のようでしたね」

 楽器に合わせて体が進化する。音楽家は、アスリートのように己を鍛え上げて演奏に臨むのだ。一見奇抜だが、真摯な芸術への取り組みがそこにある。興味を持った方はいちど東京藝大のキャンパスを覗いてみてはいかが?

デイリー新潮編集部

2016年10月4日掲載

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