【リオ五輪】恩師が語る「ケンブリッジ飛鳥」 英語の成績は“2”

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 日本選手権の男子100メートルで、ライバルの桐生祥秀(20)、山縣亮太(24)を撃破し、ケンブリッジ飛鳥(23)は、一躍、リオ五輪期待の新星に躍り出た。ジャマイカ人の父と日本人の母を持ち、2歳までジャマイカで育ったという。だが、最も苦手な教科は英語だった。

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ケンブリッジ飛鳥ツイッターより

 自己ベストの10秒10という記録は日本歴代9位にランクイン。リオ五輪では、夢の9秒台も期待されるケンブリッジ飛鳥だが、遅咲きのスプリンターだった。

 大阪市立淀川中学校で、陸上部顧問を務めていた山口忠広先生が振り返る。

「飛鳥くんは中学から陸上を始めて、最初は1500メートルの選手でした。1年の冬ごろから、だんだん足が速くなってきて、短距離に転向させた。当時は身長が160センチもなく、痩せてヒョロヒョロ。いまみたいに、ゴッツクなかった。それでも、2年の秋には200メートルで23秒台を出した。なので、“3年生は全国大会に行こうな”とハッパをかけました」

 しかし、母親の仕事の都合で、3年生の春に東京へ引っ越すことになった。

「本人は、“大阪に残りたい”と不満を漏らしていましたけど、“そら、アカンで。おじいちゃん、おばあちゃんと住むよりも、お母さんと一緒に東京に行きなさい”と諭した。その後、お母さんから、“陸上を続けるのにいい学校はありますか?”と訊ねられたので、深川三中から、陸上の名門である東京高校に進学することを勧めました」(同)

■スポーツ推薦のために

 その転校先である江東区の深川三中で、担任だった大原章博先生が明かす。

「都大会の200メートルで2位になって、新潟で開催された全国大会に応援に行きましたが、予選落ち。陸上部の顧問からは、“バネがあるから110メートルハードルなら、大成するのではないか”と言われていました。でも、本人は短距離にこだわった。性格は寡黙で、礼儀正しかった。掃除とかもサボらず、黙々とこなしていました」

 母親とケンブリッジ飛鳥、妹という母子家庭だったが、しっかりと躾(しつけ)されている印象を持ったという。

 学校の成績はどうだったのか。

「授業中よりも部活のときの方が目がキラキラ輝いていましたし、成績は中の下といったところ。なかでも、英語は苦手だった。1を取ると東京高校へのスポーツ推薦が認められないので、私の担当は数学でしたが、放課後に呼び出し、中1、2の英語の教科書で一からやり直させた。その結果、無事2を取ることができました」(同)

 これでは、実父との会話にも困るはずだが……。

 ともあれ、東京高校では3年のときに日本ジュニア選手権の200メートルで優勝を飾った。だが、進学した日本大学ではケガに泣き、度々、戦線離脱。父親の故郷、ジャマイカでの武者修行をきっかけに肉体改造に取り組み、身長180センチ体重76キロのムキムキの身体に。それに伴い、記録も伸びていった。

 男子100メートルの元日本記録保持者で、「TEAM不破」の代表理事の不破弘樹氏によると、

「ケンブリッジは大舞台でのキャリアは少ないものの、一番の伸び盛り。リオでは経験を積み、東京五輪にピークを持っていければ、日本人初のメダル獲得の可能性も秘めている選手です」

 彼の場合、世界と伍すのに必要なのは英語力ではなく、瞬発力や筋力なのだ。

「特集 秘されたドラマ! 汗と涙の『日の丸』アスリート」より

週刊新潮 2016年8月4日号掲載

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