“親日国”バングラデシュでなぜテロが起きたのか 45年の闘争史

国際週刊新潮 2016年7月14日号掲載

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 北海道の2倍ほどの面積に約1億6000万人を抱えるバングラデシュは「日の丸」を参考に国旗を作ったほどの親日国である。そんな国で、日本人がテロに巻き込まれるのは何ともやるせない話だが、根底には同国が抱える権力闘争の歴史があった。

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テロの現場付近に集まる人々

「バングラデシュの国民は識字率もまあまあで、なおかつ人件費が安い。それもあって、味の素やYKKなど大企業がこぞって進出し、アジアでも有数の経済成長(6・55%)をとげています」(東京外語大の飯塚正人教授)

 今回、犠牲になった7人がダッカにいたのも同国の発展と無縁ではない。だが、バングラデシュは、一皮めくれば血で血を洗う内紛を繰り返してきた国でもある。

 そもそも、この国の起源は1947年にパキスタンが独立したことから始まる。当時、パキスタンはインドを挟んで「西パキスタン(パキスタン)」と「東パキスタン」に分かれていたが、東側の多数を占めるベンガル人が西パキスタン寄りの政策に反発。東西で戦争が起き、71年、バングラデシュとして“再独立”する。

 東京外語大の外川昌彦准教授によると、

「この時、パキスタン側について独立を阻止しようとしたのが、現野党でイスラム急進派の『ジャマーアテ・イスラミ(JI)』でした。JIは独立戦争の際に、運動家やヒンドゥー教徒を虐殺しましたが、独立を止められなかった。初代大統領となったムジブル・ラフマンはイスラムに代わり世俗主義を国家原則とし、“民族”によって国をまとめようとします」

 だが、国民の8割がイスラム教徒ということもあって、JIは生き残る。

■ISの犯行声明は

 一度は世俗主義を選んだ同国だが次第にイスラム勢力が頭をもたげ、88年にはイスラムを国教にするという宣言もなされる。背後にはJIなどの様々なイスラム政党の存在があった。

「ところが、2009年、ムジブルの娘であるシェイク・ハシナ(現首相)率いるアワミ連盟が与党・BNP(バングラデシュ民族主義党)から政権を奪還。ふたたび、世俗主義を重視する政治を進めようとした。そして独立戦争の際の残虐行為を裁判で追及し、JIの幹部は次々に処刑されたのです」(同)

 これによって、JIは表立った身動きが取れなくなったが、

「逆に過激なイスラム急進主義を刺激することになってしまった」

 と外川氏は見る。事実、ここ2、3年で治安は急速に悪化し、世俗派や無神論者のブロガーをターゲットにした殺人事件も30件近く起きている。犯人グループの2人が所属していたJMB(ジャマトル・ムジャヒディン・バングラデシュ)も、そうした過激派の一つと見るのは広島修道大の高田峰夫教授だ。

「犯人グループのうち2人はマレーシアのモナシュ大学に留学経験があり、そこで原理主義的な考えに染まったと見られています。また、もう1人のメンバーは過激派の温床といわれるイスラム神学校の出身です」

 事件では、さっそくISが犯行声明を出したが、犯人グループとの関係は分かっていない。邦人7人の悲劇は、バングラデシュの抱える宿痾そのものでもある。

「特集 彼の地で汗をかいた邦人7人の悲劇 『私は日本人だ』を一顧だにしない『バングラ・テロ』」より