バングラ・テロ、犠牲者たちの素顔 恩師や部下が語る

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 人質テロの犠牲になった7人の日本人男女は、「開発コンサルタント」と呼ばれる企業で働く人たちだった。その中には27歳の“リケ女”から、80歳という高齢でありながら、単身バングラデシュに乗り込んだ男性もいたのである。

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ダッカのテロ事件で現場に手向けられた花(ゼータイメージ)

 今回亡くなったのは、下平瑠衣さん、酒井夕子さん、岡村誠さん(以上アルメックVPI)、小笠原公洋さん(片平エンジニアリング・インターナショナル)、黒崎信博さん、橋本秀樹さん、田中宏さん(以上オリエンタルコンサルタンツグローバル)の7人である。

 中でも一番若いのが27歳の下平さんだ。埼玉県出身で芝浦工大から東工大の大学院に進み、途中、タイのタマサート大学にも留学。学生時代はカンボジアや東日本大震災のボランティアにも参加した。彼女が入っていたNPO「JHP・学校をつくる会」の清國将義氏が明かす。

「最初に下平さんと会ったのは2009年のこと。カンボジアの学校にブランコを作るためボランティアを募集したら彼女がやってきたのです。また、東日本大震災では南三陸町で災害ボランティアセンターの立ち上げや運営に関わっていました。津波で流された写真をきれいにするといった活動をやっていました」

 清國氏とは下平さんが就職してからも交流が続いた。

「テロのニュースが流れ、もしやと思って彼女のLINEを見たら“7月3日までダッカ”と書いてあったので、やっぱりかと……」(同)

 もう1人の女性、酒井さん(42)は、静岡県の出身。母校・浜松西高校では弓道に打ち込んだ。

■80歳でも来てほしい

「酒井の腕前は文句なしのピカイチで、国体の最終選考に残ったこともあります。正直、彼女がいなければ試合にならないほど。強い気持ちを内に秘めるタイプの生徒でした」(高校時代の弓道部顧問・森田明宏氏)

 筑波大に進むと青年海外協力隊でモロッコに赴任。一時は外交官を目指したこともあった。

 2人と同僚の岡村さん(32)は、千葉県出身。成田国際高校時代の副担任・仲澤信明氏が振り返る。

「芯が強い子でね。卓球部にいたんですが、部員が彼1人だけ。それでも腐らずに顧問の先生とコツコツ練習していました」

 推薦で日大理工学部、そして同大学院に進み、アルメックに入社。出張先で知り合った女性との結婚を間近に控えていた。

 そして、最年長の犠牲者になってしまったのが田中さん(80)だ。北大から旧国鉄に入社、そして日立を経て日本電設工業で技術開発本部長を務めた。退職後も鉄道コンサルタントとして飛び回り、バングラデシュには全長約27キロの電車を走らせるために赴任したばかりだった。

「途上国では鉄道の専門家が不足しており、日本の技術者は何歳になってもニーズがあるんです。あの歳でも背筋がピンとしていてスタスタ歩く。他の被害者の方は皆年下ですよね。田中さんは話がポンポン出てくるから、若い人たちと居ても浮かないんです」(国鉄時代の部下・長谷川泉氏)

 レストランではそれぞれの夢と経験を語り合っていたのだろうか。テロがすべてを奪ってしまう瞬間まで。

「特集 彼の地で汗をかいた邦人7人の悲劇 『私は日本人だ』を一顧だにしない『バングラ・テロ』」より

週刊新潮 2016年7月14日号掲載

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