前立腺がんと戦った藤原喜明 アントニオ猪木、前田日明からの心遣い がんに打ち克った5人の著名人(4)

スポーツ 週刊新潮 2016年5月19日菖蒲月増大号掲載

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 プロレス団体「藤原組」の組長にして現役レスラー、その傍ら陶芸や小説、エッセイをものし、そして俳優の顔ももつのが、藤原喜明さん(67)だ。

 彼が胃がんを宣告されたのは07年9月のことだった。右肘手術のため、知人の紹介で受診した国立栃木病院(現・栃木医療センター)で、内視鏡検査を偶然受けたところ見つかった。

「主治医から事務所に電話があってな。“残念な結果がでました”と。ショックで座り込んじゃった。でも人間っていつか死ぬんだと。それが明日か何年先かの違いだけだと思ってね。ただ、ああいうとき人間はおかしなことを考えるね。手術をしたらしばらく飲めない。だから飲みに行きましたよ」

 そのうえ、自室にあるエロ本を、死んでから人に見つけられたら恥ずかしいとも思った。それゆえに、

「3分の2ぐらい捨てたよ」

 3分の1は残した?

「いいのはな、ははは」

 手術に要したのは3時間。胃を半分切った。

 術後は病院内で、“組長伝説”を残す。

 集中治療室で、看護師に痛みを聞かれても、レスラーが痛いと言うのは恥ずかしいから強がって「痛むけど大丈夫」と答え、しばらくモルヒネをもらえなかったり、術後4日目という異例の早さで抜糸をしたり。また、体を鍛えなければと、管をつけたまま、階段を上り下りし始めたりもした。

「看護師さん、“エーッ”と驚いてな。ザマーみろ!と。手術しても俺、死ぬかも知れないと思っていたからね。どうせ死ぬのならカッコよく死んでやれと思ったわけさ」

 手術前の段階で腫瘍は4センチ程度、リンパ節への転移があり、がんの進行度としてはステージ「3A」。5年生存率は41%ほどなのだが、藤原さんには、「勝てない勝負じゃない」と映っていた。

 そんななかで嬉しかったのは、レスラー仲間の心遣いだった。

 がんのことを全く知らない先輩・アントニオ猪木さんが電話で、「元気か?」と聞いてきたことがあった。たまたま受けた検査で見つかったので「ラッキーでした」と言ったところ、

「ナニ? マッキ(末期)?」

 と聞き違えるほど、猪木さんは驚き心配してくれた。

 記者会見でがんを公表すると、後輩の前田日明さんは泣きながらこう言った。

「藤原さんが死んだら、僕は寂しいです!」

“死んでねぇよ、早とちりだな”と思いながらも、自分を心から気遣ってくれている、むき出しの気持ちが伝わってグッときた。

 抗がん剤治療を続けて、5年間再発なし。がんをひとまず退けた藤原さんは、

「死を意識したことで生を身近に感じるようになった」

 とし、こう続ける。

「朝、目を覚ますと、生きている。空気が美味しくて飯も旨い。たまに女が近づいてきて電話番号を教えてくれる。へへ、それが幸せだなんて、がんを経験しなければ思わないわけだからな」

「特別読物 がんに打ち克った5人の著名人 Part3――西所正道(ノンフィクション・ライター)」より

藤原喜明
1949年生まれ。プロレスラー、学校法人日本医科学総合学院理事長。“関節技の鬼”の異名を持つ。携帯小説「健太の冒険」を「プロレス/格闘技DX」にて連載中

西所正道(にしどころ・まさみち)
1961年奈良県生まれ。著書に『五輪の十字架』『「上海東亜同文書院」風雲録』『そのツラさは、病気です』、近著に、『絵描き 中島潔 地獄絵一〇〇〇日』がある