元総会屋「小池隆一」が話す「俺の口座を通り過ぎた270億円」

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 白いものが目立つ髪に、柔和な笑顔。その名を知らなければ、どこにでもいる好々爺である。だが、「野村・一勧事件」の主役・小池隆一氏(72)は、長らく企業の裏側を仕切ってきた人物だ。頼りにするとこれほど心強いものはないが、敵からは蛇蝎のように恐れられた。何より小池氏の口座に振り込まれた約270億円は「用心棒代」にしてはケタ違いである。

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「野村・一勧事件」の主役・小池隆一氏(72)

「うちには、特別な人だけが持てる“VIP口座”がある」

 1997年、野村證券の元社員の内部告発から発覚した利益供与事件は、捜査が進むにつれて、グロテスクな「暗部」が明るみに出ていた。野村證券が小池氏に特別な口座を開き、一方で小池氏が野村の株を30万株も持っていたことが判明する。世間が驚いたのは、その買い付け原資を、第一勧業銀行(現みずほ銀行)がすべて融資していたことだった。小池氏の口座には第一勧銀から合せて約270億円が流れ込んでいた。総会屋とのただならぬ関係に世間は色めき立つ。大企業が隠していた「パンドラの箱」が開かれたのだ。

 小池氏が総会屋としてデビューしたのは70年代。大物総会屋のもとで修業した小池氏は、あちこちの総会で暴れまくっていたが、約6000人もいた総会屋の中ではまだ駆け出しだった。転機は75年、理研ビニルの株主総会を荒らして逮捕されたことだ。小池氏が言う。

「当時、理研ビニルは田中角栄の影響下にあって監査役に秘書が送り込まれていた。私はそのことがおかしいと思って“辞めろ”と追及したら、それが強要にあたるというのです」

 結局、小池氏は釈放されるのだが、お祝いに白百合の花束を贈ってきたのが、上森子鉄という人物だ。鎌倉商工会議所会頭、文藝春秋社監査役という「表の肩書」を持ってはいたが、財界のフィクサーと呼んだ方が分かりやすい。元外務大臣の藤山愛一郎らと親交を持ち、会合になれば日銀総裁も上座を譲るほど畏れられる存在だった。

「それで上森さんにお礼を言ったら“白百合の花言葉知っているか?”って。“清廉潔白だよ”と言う。単なる金目当てで暴れたんじゃないのは分かっているというメッセージだった。若いのに骨のある奴だと思ったのでしょう」

 以後、小池氏は上森氏に私淑するようになる。それは、「暴れ役」から企業を守る側への転身を意味していた。

■日本航空からの申し出

 大物総会屋として知られる木島力也もまた小池氏の力量を見込んだ一人だ。木島の紹介で、小池氏は第一勧銀など金融業界とも関係を深めていく。

「あるとき木島さんが“株や不動産をやるので口座はないか”というから弟の会社(小甚ビルディング)を紹介してあげたんです」

 後に判明するが第一勧銀はこの口座を通じて木島に巨額の資金を融通していた。

 81年、商法改正で総会屋への利益供与が禁じられると、小池氏は総会出席を控えるようになる。だが、CB(転換社債)バラ撒き事件を起こした山一證券など、小池氏に助けを求めてくる企業は後を絶たなかった。

 それもあってか、何も言わなくても“利益供与”は向こうから持ち掛けてきた。

「日本航空が時価発行増資をしたときも担当者が、“小池さん、引き受けてくれ”と言ってきた。聞けば、証券会社が株価を吊り上げるから必ず儲かるという。いくらでもいいと言うので、30億円ほど引き受けた。私が面倒を見ていたライベックスという不動産会社(後に倒産)が買ったことにして、第一勧銀に融資してもらったのです。そうしたら数カ月後、本当に値上がりして5、6億円ほど儲かった。この金はライベックスが『自由の森学園』を買収する資金に回しました。後に学園は菅原文太が引き受けて、理事長になったことで話題になりましたよね」 

 だが、総会屋が企業の裏側を仕切る時代は終わろうとしていた。

 97年5月、小池氏は証取法違反容疑で東京地検に逮捕される。続いて第一勧銀や四大証券の幹部ら32名が摘発され、戦後最大の経済事件に発展したのはご存じのとおり。第一勧銀の宮崎邦次元会長が自殺し、それを聞かされた小池氏は獄中で号泣したという。

 小池氏に流れたとされる270億円も、一部が株を買い付ける代金やゴルフ場の開発資金に使われたことが分かっているが、他はうやむやのままだ。

「結局、第一勧銀の融資は、その多くが木島さんに流れたものでした。振り込まれたのは私の弟の口座だけど、何に使ったのか知らなかったし、取り調べでも答えようがなかった。ハンコも通帳も一勧の総務部が預かっていたからね。木島さんも亡くなった(93年)から検察も追及できなかった。事件後、みずほ銀行が、私に損害賠償の訴訟を起こしたけど、結局、私の受け取った金じゃないことが分かって請求も退けられました」

 事件後、小池氏は鹿児島に隠遁し、家族と暮らしている。

「あの事件は、時代が大きく変わる節目になってしまいました。私は、その責めを受ける役目だったのだと思う。でも、オリンパス事件に東芝の不正会計事件と、最近の経営者のモラルは昔より酷い」

「総会屋」は死なず、ただ消え去るのみ。だが、小池氏の言葉を嗤える者はいない。

「特別ワイド 吉日凶日60年の証言者」より

週刊新潮 2016年3月3日号掲載

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