君は『惑星大戦争』を憶えているか 『スター・ウォーズ』公開が1年遅れだった頃

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■昔は1年遅れの公開だった

 世界中で同時公開され、空前のヒット映画となっている『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』。実は中国では公開が来年になるらしく、現地ファンはそれに不満を抱いているとも伝えられているが、かつて第1作の公開時を知るオールド・ファンからすれば「その程度で文句を言うな」と言いたくなるのではないだろうか。

 第1作の『スター・ウォーズ』が日本で公開されたのは1978年6月。何と全米公開から1年1カ月も後のことであった。

 この間、そのタイムラグや情報格差を突いて、日本では様々な便乗商法が生まれていたことを記憶している人はもう少ないのかもしれない。

 第1作公開時に中学生だった著者2人による『スター・ウォーズ学』(清水節・柴尾英令著)をもとに、いくつかをご紹介してみよう。

(以下、「 」内は同書より)

■スピード製作の『惑星大戦争』

(1)東宝映画『惑星大戦争』

 もともと、『スター・ウォーズ』の邦題は『惑星大戦争』となる予定だったのだが、ルーカスの意向で原題のままでの公開となった。

 これに乗じて、日本のオリジナル作品として『惑星大戦争』を企画したのが東宝である。

「東宝映画社長の田中友幸プロデューサーの『うちには轟天号があるじゃないか』という鶴の一声から進められた企画らしい。轟天号は映画『海底軍艦』に登場する万能戦艦の名前である。

 夏に企画がスタートし、12月17日に劇場公開されるという、現代では考えられないスピードであった」

 つまり、アメリカでのヒットを聞きつけてその年の夏に製作が始まり、「本家」を追い抜いて公開されたことになる。クオリティは推して知るべし。

「ピアノ線に吊るされた轟天号がドリルをぐるぐる回しながら、敵の大軍艦と戦うというクライマックスで、特撮好きの好事家ならともかく当時の中学生にもつらいものがあった」

(2)東映映画『宇宙からのメッセージ』

「これまた東映の社長、岡田茂の企画である。『スター・ウォーズ』の日本公開までのブランクを受け、社が誇る深作欣二監督に撮らせたものである。

 東宝の誇る資産が轟天号であるならば、東映の資産は東映京都撮影所だ。銀塗りのメイクを施した成田三樹夫のガバナス帝国ロクセイア12世と、ドスのきいた声で重厚感あふれる殺陣(たて)を見せる千葉真一の姿には惚れ惚れするものがある。

 特撮もシュノーケルカメラを導入した矢島信夫の挑戦が意欲的だった」

■ディスコや王冠も

(3)ディスコ『スター・ウォーズ』

 MECO(ミーコ)なる日本人アーティストが作った、ディスコアレンジした『スター・ウォーズ』のテーマ曲は全米でも大ヒットした。

「これに歌詞をつけて、『およげたいやきくん』の子門真人による『スター・ウォーズのテーマ~カンテナ・バンド』が発売された。のちにこの曲はジョン・ウィリアムスの許可を取っていないことがわかったため、発売中止になったとされる」

 これらいささか怪しげな便乗ではなく、正規のキャンペーン商品として人気を博したのが、「王冠はがしキャンペーン」である。

「缶入り飲料ではなく、ボトル飲料がまだまだ主流の時代。数年前からペプシコーラでは、コーラの王冠の裏をはがすとキャッシュバックするというキャンペーンをしていたのだが、それに対抗するようにコカ・コーラは話題作に便乗したキャンペーンを開催していた。

 ちょうどその夏は『スター・ウォーズ』のキャンペーンだった。コカ・コーラの王冠の裏をはがすと登場キャラクターやワンシーンが印刷されており、その数は50種類ある。当たりが出ると、R2‐D2のラジオが当たるというものだ」

 こんな記述に、「そういえば自販機で王冠を拾ったことがあったなあ」などと思うのは、間違いなく中年以上の「第一世代」のファンだろう。

デイリー新潮編集部

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