泉アキ「がんになると人生観ががらっと変わるわね」 がんに打ち克った5人の著名人(5)

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 タレントの泉アキさん(65)である。67年に歌手デビューし、『夕焼けのあいつ』がヒット。その後、バラエティ番組『独占!女の60分』での歯に衣着せぬ発言が話題を呼んだ。夫はタレントの桂菊丸さんである。

 彼女はいまでこそ、

「がんになったことでマイナスは何ひとつありません」

 と言い切るが、97年、左胸にしこりを見つけたときには、

「もう、どうしようどうしようとおろおろしていました。かかりつけの先生に触診してもらったら表情が急に険しくなって、“乳がんかも知れない”と。なんで私ががんになるの? と思ったし、死を覚悟しました」

 診察から帰宅。家に居た夫の菊丸さんに知らせると、命のあるうちにと思ったのだろう、温泉へ連れてってあげる、旅行にでも、と誘う。有難いなと思う反面、ああ、そんなことで自分の人生は終わってしまうのかとも思った。

「よく走馬燈のように過去の記憶が駆け巡るといいますが、私にずっと心を寄せてくれていた友だちや仕事仲間の顔が一気に浮かんできたんです。しかもみんな笑顔で。こういう人たちに私は支えられてきたんだと思うと、涙が出ました」

 泉さんは肉親とは縁の薄い生い立ちだった。米兵の父と日本人の母との間に生まれ、父は彼女が物心つく前に帰国。母は再婚するが、異父妹が生まれてしばらく後、14歳のときに養女にだされてしまう。

「こういう生い立ちの自分を、どこかで不幸せだと思っていました。でも改めて感じたのは、そういう過去があったからこそ、明るくして、みんなに愛される自分であろうと振る舞ってきたんだなと」

 そう考えられたら楽になった。

「不幸のどん底にあるときって、逆に幸せになる入り口にいるんだ、自分が変われるチャンスを手にしているんだと思えたのです」

 1回目のがんは非浸潤性で、早期がんであったため、乳房温存手術とホルモン療法を行ない退院となった。

 そのわずか3カ月後には夫婦でフルマラソンに出場し完走。そのまた3カ月後には家庭菜園に着手。それが自給自足生活への憧れを育み、03年から静岡県熱海市で“田舎暮らし”をするようになった。

 きっかけは、庭の木で見かけた尺取り虫。

「生きることだけを考えて、木の上にある美味しいエサを食べようと登っている。そうか、私も楽しいことばかりをして生きようと。がんになるまでの私ならば、尺取り虫なんか見向きもしなかったのにね。がんになると人生観ががらっと変わるわね」

 そして、06年には2度目の乳がんが今度は右胸を襲う。血管やリンパ管に広がる浸潤性がんで、前回より重かった。抗がん剤治療も受けたけれど、落ち込むことはなかった。

「考えてもしょうがない。悩んで1日をムダにしたくないから」

 家の周りには、畑が広がる。大根、白菜などの野菜が植わっている。湯河原駅から車で10分ちょっとなのだが、標高350メートルの山肌には小川が流れる。泉さんは、がんと歩んだこの20年をこう総括する。

「いくつもの“気付き”を与えてくれる」

 がんは人生に、影ばかりを落とすわけではないのだ。

「特別読物 がんに打ち克った5人の著名人 Part2――西所正道(ノンフィクション・ライター)」より

泉アキ タレント
1950年生まれ。67年に『恋はハートで』で歌手デビューした後にタレント活動を展開。著書に『おごる姑は久しからず』がある。

西所正道(にしどころ・まさみち)
1961年奈良県生まれ。著書に『そのツラさは、病気です』、近著に、がんを契機に地獄絵に着手した画家を描いた『絵描き 中島潔 地獄絵一〇〇〇日』がある。

週刊新潮 2015年12月10日号掲載

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