「イスラム国と対話せよ」というなら、テレ朝は記者を送り込め

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 イスラム国(IS)によるパリでのテロを受けて、日本の言論空間には不可思議な意見がはびこっている。〈話し合いのテーブルに着く努力を〉なる意見を載せる「朝日新聞」、〈対話を進めるためにはどうしたらいいか〉と発言した法政大学の田中優子教授……。

 さらにテレビ朝日系『報道ステーション』の古館伊知郎キャスターは、

〈この残忍なテロはとんでもないことは当然ですけども、一方でですね、有志連合の、アメリカの誤爆によって無辜の民が殺される。結婚式の車列にドローンによって無人機から爆弾が投下されて、皆殺しの目に遭う。これも反対側から見るとテロですよね〉

 と、のたまう有様だ。

 ***

 もし本当に古舘氏らが「イスラム国」と対話すべしと思っているのなら、テレ朝の精鋭記者をシリアやイラクに送り込めばよい。

 評論家の呉智英氏は、

「結局、彼らは何も知らないのです。世界が今、どういう構図で動き、各国が何を考え、どのように行動していくのか。これらを知っていれば、簡単に“対話すべきだ”などという言葉は出てこない。すなわち、何でも話し合えば解決すると思っている典型的な『空想的平和主義者』なのです」

 と「無知」を強調するけれど、現地中継をしないことからも想像出来るように、

「もちろん彼らは、本気で対話が出来るとは思っていない。発言は自己宣伝に過ぎないと思います」

 と述べるのは、京都大学名誉教授の中西輝政氏(国際政治学)である。

「いくら何でも、古舘さんが、空爆をテロと同一視したり、イスラム国と対話すべしとマジメに主張する“極楽とんぼ”とは思えません。彼だって、人間の社会で何が可能で不可能なのか、先刻ご承知のはず。日本には、まだまだ世界では誰も信じない『絶対平和主義』を信奉する人が一定数いる。この人たちに向かって、彼らは“僕は暴力が嫌いです”“平和を愛します”と言う。“天使のように心の清らかな自分”とアピールし、自らを売り込もうとしているに過ぎないと思います。その意味では、非常に利己的で目先のことだけを考えた、狡猾な判断の上での言動であると思うのです」

■「対話」を避ける“文化人”

 実際、当事者たちに見解を伺ってみたところ、

「無辜の民が亡くなっているという視点を忘れてはならないというのが放送の趣旨」「国際社会間の『対話』の模索が必要だという趣旨で、『イスラム国』との対話について直接言及しているわけではない」(テレビ朝日)

 などと、今になって論理をすり替えるか、

「『声』欄では、幅広く多様な意見を掲載しております」(朝日新聞社)

「お答えは遠慮させていただきます」(田中優子総長)

 と、「対話」を避ける。これでは、イスラム国とのそれなど、臍(へそ)で茶を沸かす。やっぱり発言の“本気度”は限りなく疑わしいのだ。

 テレビや新聞が性質上、「建前」を言わざるを得ないことはわかる。聞こえのよい正論を述べなければならないのもよくわかる。

 しかし、今回のような、あまりに「本音」や現実を無視した空理空論を並べられては、耳に心地良すぎて、右から左に抜けてしまう。腹話術の人形を見たかのような、空虚さが後に残るのみ――。

 視聴者に愛想を尽かされる日も遠くなさそうだ。

「特集 内心無理とわかっていて 『イスラム国と話し合え』という綺麗事文化人」

週刊新潮 2015年12月3日号掲載

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