「江川監督」をあきらめた読売巨人軍に刻まれている心的外傷

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“球界の盟主”らしからぬスッタモンダの末、高橋由伸の大抜擢となった巨人軍の監督人事。12球団で最年少となる“不惑”の指揮官が誕生するわけだが、世間の耳目を集めたのは対抗馬だった“還暦”の江川卓氏である。一時は有力視されるも、やはり古巣の心的外傷は大きかったようで……。

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「卓は将来、巨人軍の監督になりたいと言っている。口約束ではあるけど、今回の入団は、幹部候補生として将来の地位を約束された上でのことなんだ」

 1979年1月、“空白の1日”事件を経て、江川氏は正式に巨人入りを果たす。それからまもなく、彼の実父はスポーツ紙記者にそう明かしたという。

 当時23歳だった卓青年との口約束が果たされる可能性はほとんどゼロだが、彼が“最注目候補”に躍り出たことは事実。発端となったのは、9月26日付の日刊スポーツ1面である。

 全国紙の運動部デスクによれば、

「〈原監督V逸なら解任も〉との見出し以上に、〈江川氏は、原監督の敷いたレールを引き継ぐにふさわしい人材〉という文面に驚きました。あそこは原監督と懇意の記者がいて、よく観測気球を飛ばす。あの記事も、今年で契約が切れる原が、球団から続投要請がないことに苛立って書かせたのでしょう。そして、続投が叶わないなら次期監督に江川を推す、という意思表示だと取り沙汰されたのです」

■松井にも秋波

 スポーツ紙にとっては格好のストーブリーグ“ネタ”だろう。

 読売グループ関係者も、

「球団フロントの指示で、運動部を中心に江川の“身体検査”を進めてきました。部数減に歯止めが掛からない、読売の厳しい台所事情には主筆の渡辺さんも過敏になっている。そこで、球団OBのなかでも知名度で群を抜く江川に、目玉候補として白羽の矢が立った」

 だが、その一方で、

「巨人は監督の退任会見で新監督をお披露目するのがほぼ慣例。しかし、今回は後任人事が難航し、歴史に傷をつけてしまった」(同)

 原辰徳前監督が1人で退任会見に臨んだ背景には、江川氏が球団に刻みつけた過去の心的外傷が影響していたという。

「かつて巨人が江川を助監督として招聘する話が持ち上がった際、彼は野球ではなく年俸の話に終始した。その当時、主筆のナベツネさんは“あの金権野郎だけは監督にしない!”と公言していました。また、不動産投資の失敗で抱えた負債は一時、数十億円に膨れ上がったと言われ、読売社内でも“借金王”と呼ばれていたほど」(同)

 巨人が「江川監督」を“決断”出来なかった理由は他にもある。

 先のデスクが続ける。

「フロントの大本命が松井秀喜だからです。巨人人気の復活をアピールするのに“松井監督”以上の材料はない。ヤンキースの役職に就いたものの単年契約ですから、巨人は最優先で働きかけを続けてきた」

 結局、夢の「松井監督」は叶わなそうだが、江川氏にお鉢が回ることはなく、そもそもの既定路線とされ、ファンからの支持が厚い「高橋監督」に落ち着いた格好だ。“巨人入り”で世間を騒がせるのは、“怪物くん”と呼ばれた時代からの宿命なのである。

「ワイド特集 唇寒し秋の風」より

週刊新潮 2015年10月29日号掲載