「橋下徹」大阪市長が「松井一郎」大阪府知事を買いかぶりすぎている!

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「党首は松井知事、どう考えたって」――。分裂秒読みの「維新の党」。その一方の橋下徹・大阪市長が、次のトップに指名したのが、松井一郎・大阪府知事(51)である。しかし、彼の来し方を振り返ると、どう考えたって、橋下市長の買いかぶり。国政政党の党首の器とは、とても思えない人物なのだ。

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橋下徹(大阪市長)。好きな歌手は矢沢永吉とか……

 橋下氏が冒頭の発言を行ったのは、9月3日の記者会見でのこと。

「あの2人はまさに兄弟という感じで、他の人が入り込む余地はありません」

 と言うのは、維新のさる幹部である。

「例えば昨年の総選挙で、うちの小沢鋭仁代議士が、選挙区から当選確実の近畿ブロックの比例1位に国替えしたことがありまして……」

 利己的な行動に党内は非難囂々。その声は橋下氏にも届いたという。しかし、

「橋下さんは“あれは松井さんの案件。ひっくり返すと松井さんが困るからこのままにしてくれ”と、知事をかばって黙認したんです。今度の分裂騒動も主導は松井さん。野党再編を頭から否定する知事に橋下さんが引きずられた、というのが実際のところです」(同)

■中身は空っぽ

 その松井氏は、大阪府八尾市の生まれ。大阪工大高校から福岡工大附属高校へ転校。福岡工大を卒業して帰阪、実家の会社を手伝った後、父の後を継いで、自民党から府議会議員に出馬した。

 さる大阪府議によれば、

「お父さんは議長も務めた大物で、家業も競艇場の設備を請け負って儲かっていた。松井は後援会も資金も引き継いで、何の苦労もせずに当選したというわけです」

 自民党と橋下知事(当時)の間に対立が生まれると、知事にくっつき、2010年、「大阪維新の会」を結成。翌年、橋下氏が市長に鞍替えしたのに伴い、後任の大阪府知事に当選するが、

「この時、維新の出馬候補の一番手は、頭脳明晰のエース、浅田均府議でした」

 とは、別の大阪府議。

「しかし、たまたま浅田さんは議長だった。知事と議長が同時に辞めるのはまずい、と代わりに名が出たのが松井さんだったのです」

 というから、府議の椅子も知事の座も、実力より「運」の産物だったと言えなくもない。そして就任後も、

「都構想に反対する府議に“答えてみいや!”と恫喝まがいの言動をしたり、議会の決定を差し戻す『再議』を7回も出したりと、府政運営は強引そのもの。その割には副知事のペーパーを棒読みする場面も目立ちます」(府政担当記者)

 と、散々の評価なのだ。

「筋は通す男やけどね」

 と言うのは、自民党大阪府連の会長も務めた谷川秀善・元参院幹事長。

「党を離れる時、松井クンはわざわざ私のところに来てね。“おやっさん、こんな奴らと一緒におれんから出ますわ。それでよろしいか?”と言ったんです。でも、中身は空っぽやな。政策音痴で、府の職員も“何もしていない”と言うてたよ。まぁ、横山ノックさんに毛が生えたようなもんやろ」

 4月には、地元・八尾市の市長選でも、「維新の推薦候補を落選させ、赤っ恥をかいた」(先の担当記者)という松井知事。橋下氏との蜜月だけが取り柄の“小物党首”の誕生では、ジリ貧の維新「復活の日」は、夢のまた夢と言えそうなのである。

「ワイド特集 復活の日」より

週刊新潮 2015年9月17日号掲載

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