「寝屋川中1遺棄事件」 常習「性犯罪者」の情報公開に大反対する「日弁連」

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行き当たりばったりで杜撰な犯行

 被害者それぞれに家庭の事情があったにせよ、無論、山田の罪は些(いささ)かも減免されるものではない。同時に、もう一つの「罪」も忘れるわけにはいくまい。山田のような性犯罪者を野放しにしてきた罪である。人権派が「加害者の人権」なるものを後生大事に唱え続けてきた結果、「再犯モンスター山田」を跋扈(ばっこ)させることになったのだから――。

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 先に触れたように、山田には性犯罪の過去が複数回あった。もはや、彼が「常人」でないことは疑いの余地がなかろう。それは、山田の筆跡からも窺える。

 犯罪者の精神鑑定を行ってきた心理学者で、一般社団法人「こころぎふ臨床心理センター」の長谷川博一代表が解説する。

「彼の文字はカクカクとしていて流れが止まっている。これを私は『止め字』と呼んでいますが、他にも、文字が異様に縦に長かったりとバランスが悪い。こういった文字を書く人の中には、深いコンプレックスを持ち、萎縮した生活をする一方で、強い“こだわり”を見せる人がいる。それが異常な性癖に繋がる場合もあります」

 この文字の特徴から垣間見える山田の「内面」は、

「興味や関心の対象が極めて限定されていて、それ以外では自己の欲求を満たすことができない。彼の場合、その対象は少年であり、粘着テープで少年を縛って拘束し、自分の支配下に置くことで達成感を得ていたのではないかと推測できる。今年の名大生タリウム事件の加害女子や、昨年、佐世保で同級生をノコギリで切断した女子高生と類似した病理性が窺えます」(同)

■人権栄えて、人命滅ぶ

 このような輩が、平然と街を闊歩(かっぽ)していたのかと思うと卒倒しそうになるが、異常な性犯罪者であっても刑期さえ終えてしまえば、人権を盾に、凶悪性を懐に忍ばせたまま何食わぬ顔で社会に紛れ込めるのが日本の現状なのである。

 犯罪者が守られ、無辜(むこ)の民が怯(おび)えて暮らす――。この倒錯を解消すべく、例えば米国では「メーガン法」が整備されている。これは1994年、少女のメーガンちゃんが性犯罪の前科がある男によって、強姦された末に殺害されるという惨劇を機に制定された法律である。性犯罪者は出所後であっても居場所が公開され、インターネット上で、誰でもそれを検索できるシステムが確立されているのだ。

 日本にも、「プチ・メーガン法」とでも言うべき条例が存在する。2012年に大阪府が、18歳未満の子どもに性犯罪を働いた者は、刑務所を出た後も府知事には住所を届け出なければならない、との条例を施行したのだ。万人が性犯罪者の行方を把握できるメーガン法には到底及ばないが、この時ですら、人権派の「総本山」である日本弁護士連合会(日弁連)は会長名で、

〈現実の(本誌(「週刊新潮」)註・再犯等の)危険が不明であるにもかかわらず行動を規制するといった人権侵害を伴う犯罪防止手段を講ずることは(中略)許されない〉

 と声明を出し、どこまでも「加害者の人権」を守るべきであると主張したのだ。今回の事件を受け、改めて日弁連に聞くと、

「(条例施行)当時と見解に変わりはありません」

 ジャーナリストの徳岡孝夫氏が嘆く。

「人権尊重派には、性犯罪の累犯者という、言ってみれば『人殺し予備軍』を放ったらかしにしている側面があります。確かに人権が尊重されなければ我々は生きていけないわけですが、それを大事にしすぎて人が殺されている。人権を手放さない法律家は、人権と人の命と、どちらが大事だと考えているのでしょう」

 人権派が幅を利かせてきた挙句、ホオジロザメのように少年を付け狙い、牙を剥(む)かんとしている「第2の山田」が、今日もどこかの街をうろついているのだ。

「特集 『寝屋川中1遺棄事件』の全真相 真人間を演じていた少年愛の『ホオジロザメ』」より

週刊新潮 2015年9月3日号掲載

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