「慶応大学院生」に枝切り鋏で切除された「国際弁護士」の再生

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 お盆のさなかのことである。キャリア十分の国際弁護士を、弁護士の卵の慶応大学院生が急襲する傷害事件が起こった。刃渡り6センチの枝切り鋏は確実に股間を捉え、“出っ張っていたモノ”を切除したのだ。さて、21世紀の医療はその下半身を蘇らせることができるか。

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いざこざは水に流せなかった(現場のトイレ)

「他人の女房と枯れ木の枝は、登り詰めたら命がけってえんだ。碌なことねえぞ、どこのカミさんなんだ」

 これは、古今亭志ん朝が演じた古典落語『紙入れ』のハイライトのせりふである。女房を寝取られたことに気付かない間抜けな旦那、その女房、そして間男。この三者が織り成すやりとりにくすぐられるのだ。

 その筋はと言うと――、

「亭主は今晩いないから」

 とおかみさんから手紙をもらった若い衆。逡巡しつつも、彼女のもとを訪ねる。が、図らずも帰宅した旦那。裏口から若者は逃げおおせたものの、件の手紙をしまった紙入れ(財布)を忘れてきてしまう。明くる朝、様子を探りに改めて男は家へやって来て、顔見知りの旦那と恐る恐る語り合うのだ。話は、不審を抱かぬ旦那が、

「たとえ紙入れがそのへんにあったって、てめえの女房をとられるような野郎だから、まさかそこまでは気が付かねえだろ」

 と言ってサゲとなる。こんな風に間男話はどこまで行ってもユーモアで済むが、現実はそうはいかない。

 背筋が寒くなる怪談のような事件が起こったのは、去る13日午前7時過ぎのことである。よりにもよって、“枯れ木の枝”を切るような枝切り鋏が凶器として使われたのだ。

 現場は、港区虎ノ門の交差点からほど近い「商船三井ビル」。霞が関の官庁街に虎ノ門ヒルズを筆頭とした摩天楼。その両者に挟まれた地区に建つビルだ。

 ちょうどそのころ、建物の前に男女ふたりが立っていた。男は慶大法科大学院に通う小番一騎(こつがいいっき)(24)。3年前まで戦績ゼロながらスーパーライト級のプロボクサーだったのが一転、法曹界を目指して差し当たり勉強中。女はその妻である。彼らが待っていたのは、このビル4階の弁護士事務所で働く男性弁護士。3人は合流し、事務所内の一室へ入った――。

 そのとき、すでに弁護士は悲劇の関頭にさしかかっていたのだが、それを知る由もない。これから述べるように、男の沽券のみならず股間にかかわる問題ゆえに氏名は伏せるが、分別ざかりの42歳である。

「小番の妻はこの弁護士の秘書。去年の5月、弁護士がこの事務所で働き始めるときに、彼女を連れてきた。ふたりは仕事のうえでは常に行動を共にする。それが深い仲に発展してしまったようなんです」

 と警視庁担当記者が話すように、痴情のもつれをほぐそうと行なわれた“三者面談”だったのだ。しかしながら、こちらは『紙入れ』とは違って籐のつるのようにもつれ、解きがたいものとなっていたのであろう。首尾は極めて悪い形を迎えた。

「その話し合いの最中、小番がキレたようです。まず、弁護士のチン、つまり顎に右ストレートを数回見舞い、意識が朦朧となったところでズボンをおろした。そして、持参していた全長20センチ、刃渡り6センチの枝切り鋏で、弁護士の男根を切断したのです」(同)

 狂気の沙汰だが、これで終わらない。

「続けて小番は」

 と後を受けるのが、警視庁関係者のひとりである。

「陰嚢、要するにタマにも手をかけた。フクロごと切って、ペニスと一緒に共用トイレに流してしまったというわけ。イチモツの方はと言うと、全体の3分の1弱の3センチほどを残し、切り取られていたと言います」

 その刹那、弁護士の絶叫が響き渡った。聞きつけた同じフロアの人間が119番通報し、彼は救急搬送されたのである。

■渡る世間は丁目と半目

 受難の弁護士は、1992年に兵庫県の公立校を、96年に明大法学部法律学科を卒(お)え、翌年10月には司法試験を突破(司法修習52期)した。

 ポール・マッカートニーやマイルス・デイビス、そして日本赤軍の岡本公三の代理人を務めた松尾翼弁護士の事務所でキャリアを積んだあと、米国へ留学。カリフォルニア大バークレー校のロースクールを修了後、ニューヨーク州弁護士の資格を取得。2006年、国際弁護士として日本へ凱旋していたのである。

「負債総額が数千億円規模にのぼった『新潟鐵工所』の会社更生事件で管財人代理をするなど、民事再生や破産案件に強みを見せていました。そういった大きな事件を担当していることから、裁判所からの信頼も厚い。とにかく事件には驚きましたよ」(同僚弁護士)

 とはいうものの、こういう話もある。

「もちろん、デキる弁護士ではあるんですがね……」

 と渋面をつくって語り始めたのは、さる法曹関係者である。その口ぶりから察すると、被害者弁護士にとって好ましからぬ話のようだ。

「アメリカヘの留学資金を援助し、大学のしかるべき教育課程を手配して、その後、現地で評価の高い法律事務所での働き口を斡旋したのは、すべて松尾先生です。明治出身というのは、あちらではコネクションやアピール力がかなり弱い。したがって松尾先生の強い推挙がなければ、大学入学さえままならなかったのではないでしょうか」(同)

 米国で箔をつけたあと、松尾氏の事務所に戻るのが筋というものだが、あにはからんや、

「彼は別の事務所を選んだ。だけど、そこは松尾さんが親しく付き合っているところだったこともあって、“頑張れよ”と松尾さんは背中を押してやった。でも結局のところ、彼はさらに別のところへ行ってしまったんです」(同)

 どうしてそういうことになったのだろうか。

「彼には天性の明るさとボート部で培った真面目さがあった。それが生き馬の目を抜く米国で、人が少し変わってしまったのかもしれないね。改めて彼の経歴を見ると、松尾さんのところへ一旦戻ったとあるけど、そんなことはないと思うけどなあ」(別の関係者)

 もっとも、こういった陰口はあるにせよ、日本航空でグランドホステスを務めていた妻とのあいだに4人の子宝を授かった彼は、差し詰め、健康に才能、名声、そして家族に恵まれていたのである。だが、「渡る世間は丁目と半目、善いと悪いは一つ置き」が世の習い。幸福ばかりは続かない。

 この裏返された幸せの一端を取り戻すために、今度は現代医療が弁護士に手を差し伸べる。それを述べる前に、“早朝の惨劇”の詳細から始めたい。

■鼓動に合わせるように

 まず痛みについて、岡山大学病院ジェンダーセンターの難波祐三郎教授によると、

「指を切断されたときのそれに似ていると思います。陰茎の皮の先というのは、指先と同じように神経が集中しているからです。殴られて失神していても、痛みで目が覚めたはず。また陰嚢ももちろん痛い。野球のボールが股間に当たった際に、腹部まで含めて痛くて悶絶することがありますね。それは、陰嚢が腹膜の一部とつながっているからなのです」

 煎じ詰めれば、ふぐりを切られたということは、お腹にナイフを突き立てられたと同様のことなのだ。

 その一方で、「脳の防衛本能」の働きを指摘するのが、泌尿器科医の岩室紳也氏(ヘルスプロモーション推進センター代表)だ。

「切られたその瞬間は、かなり痛くて悲鳴があがる。ですが、脳が暫定的に神経を麻痺させ、痛みはある程度抑えられていた可能性があります」

 となれば、不幸中の幸いであったかもしれない。次いで出血量はどうか。

「ペニスには4本の動脈が走っており、ここから血が噴き出る。心臓の鼓動に合わせるように、“びゅっ、びゅっ”とリズミカルに流れるのです」(前出・難波教授)

「頸動脈を切った時には」

 これは、元東京都監察医務院長の上野正彦氏の解説である。

「3メートル先まで血が噴射することがありますが、それは心臓からの距離が近いから。男性器の場合は心臓から離れているのでそこまでとは申しませんが、それでも10~20センチほどは血が飛ぶことになります」

 その量を、「しらゆりビューティークリニック」の村松英俊医師に聞くと、

「800ミリリットルほどの血液が主として陰茎から流れ出し、現場は血の海そのもの。被害者は変わり果てた下半身に目をやるものの、その現実を受け入れたくないと、患部を必死に手で覆ったことでしょう」

 塗炭の苦しみが生んだ悲鳴がきっかけで、弁護士が病院にたどり着けたことは先に触れた。それでは、病院での応急処置シーンへ移ろう。

「接合すべき陰茎および陰嚢が存在しないとなれば、『断端形成手術』というものが行なわれます」

 と、難波教授が次のように続ける。

「これは、ペニスが輪切りのままで出血し続けるのを防ぐもの。具体的には、余っているペニスの皮膚で傷口を覆うのです。その際、おしっこが出なくなってはいけませんから、尿道は確保する。切断された陰嚢も止血して傷口を縫合する。いわゆる『宦官』の状態になるわけです」

 こういった処置に要するのは3時間前後。翌日から歩行が可能で、1週間ほどで退院することになる。

「男性器が切断され、付け根だけ残っていたとしても、ある程度の長さがなければ挿入することは難しいかもしれません。ただし、大した角度はつかないまでも勃起はしますし、性感帯が亀頭だけでなく根元にもありますから、そこをシゴけば“射精感”を得ることはできる」(同)

 言うまでもなく精巣がないため、それは厳密な意味での射精ではない。ちょうどパイプカットした場合と同様に、前立腺液の発射にすぎないのだ。

 それでも、生まれてこのかた脾睨(へいげい)・対峙してきたイチモツの3分の2とふぐりは根こそぎ奪われ、絶望の淵にある男には、その射精感覚がままごとみたいなものであっても、生きる糧になるであろう。

 人生には、フクロ小路かと思うと、はしなくも展望が開けてくるということがあるように、弁護士にも光明がないわけではないのだ。

 ――そうは言っても、よりいっそう強い勃起力を取り戻し、性行為に臨みたいと願うなら、さらなるステップを踏まねばならない。他ならぬ陰茎形成手術である。

 難波教授曰く、

「これは、前腕の皮膚を切り、丸めてチューブ状にして男性器を再建するもの。その部分はあくまでも軟らかいので、“支柱”として骨や軟骨を埋め込み、挿入が可能になるくらいの硬さを出す。手術時間にして6時間といったところです」

 例えば、女性から男性へ性転換したケースだが、肋骨を10センチほど抜いて、陰茎を形成したことがあるという。

「ペニスに残った神経と移植した皮膚の知覚神経とを接合することで、感度が高まる。陰茎形成した時点では違和感があるものの、半年もすれば、ある程度は“自分自身”だと認識できるようになります」(同)

 パンツのなかでもぞもぞうごめくあの感じ――。それをいくらかは取り戻すことができるのだ。

 ひるがえって、ふぐりの再建はあくまでも“見た目”に留まるようで、

「おもに鼠蹊(そけい)部の皮膚を丸めて作ることになりますが、実際の陰嚢のように皺が入ったタイプを作ることは難しい。仮にリアリティを求め、毛が生えたように見せたいなら、毛がある部分の皮膚を使用することで、それは可能になります」(同)

 むろん中身が伴わないから、それは“ふぐりに毛が生えたようなもの”でしかないのだが……。

「ただ」

 と、言葉を継ぐのは、先の村松医師である。

「そういったオーガズムを得るためには、男性ホルモンを定期的に注射し続ける必要があります。男性ホルモンの主要な製造工場が精巣です。副腎からも分泌されてはいるものの、それは微々たる量。精巣が失われて男性ホルモンが激減すると、性欲が減退し、勃起もしづらくなるのです」

 さらに悪いことに、

「うつや筋力の低下、睡眠障害も起こり得る。それを防ぐために、ホルモン補充療法を生涯に亘って受ける必要が出てくるかもしれません。あとは、事故などで手足を失った人が、存在するはずのない箇所に痛みを感じる『幻肢痛』。これが出て、股間部分が痛くなることもあります」

■「去勢恐怖」の衝動

 ところで、傷害容疑で逮捕された小番の今後を、弁護士の郷原信郎氏が占うと、

「あくまでも、被害者に過失がないのを前提にしましょう。その傷が全治不能、すなわち回復しがたいものであるうえに、精神的なショックは計り知れない。これに加えて、『元』とはいえプロボクサーのパンチは凶器使用と同一視されます。こういったことを踏まえると、傷害罪の上限にあたる懲役15年に近い判決が下る可能性がある。執行猶予など絶対ありえません」

 その一方で、民事訴訟が提起された場合でも、

「弁護士としての逸失利益は相当なものゆえに、億単位の賠償請求は免れない」(同)

 と見るのだ。

 してみると、小番は持ち前の腕力にものを言わせて本意を遂げたものの、今後の人生で大きな十字架を背負ったことは間違いない。

「人を呪わば穴二つ」という箴言(しんげん)は、小番の手にした法律書にはなかったのだろう。彼の行動の要諦は「生かさず殺さず」。殺そうと思えば簡単に殺せたところを、敢えてそうしなかった。彼なりに考えた“殺害以上の打撃”を被害者に与えたかったのだ。

 精神科医の片田珠美氏の読み解きによれば、

「世の男性の多くは、妻を所有物だとみなしています。それを寝取られたのだから、怒りを感じるわけです」

 そして、こう付け足す。

「おしなべて男性の深層心理には、象徴を失うことへの恐れが潜んでいる。フロイトはこれを取り上げ、男性の行動は『去勢恐怖』に衝き動かされていると分析しています」

 そうなると、寝取られた小番が取った怒りの表現法は、究極の復讐と言えよう。

「陰嚢まで切断するというのは、生殖能力を奪う行為にほかなりません。それらをトイレに流して再生を不可能にしたことも踏まえれば、絶対に相手を去勢したいという極めて強い願望を感じます」(同)

 ――赦(ゆる)せよと請うことなかれ赦すとはひまわりの花の枯れるさびしさ(松実啓子)

 赦すとは関係の終わりを意味すると、この作者は考える。小番は妻の不貞を咎め、憎しみ続けることを選んだ。時あたかも、ひまわりが萌える季節に。

週刊新潮 2015年8月27号掲載

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