山本夏彦『夏彦の写真コラム』傑作選 「やっと中流になったのに」(1980年5月)
すでに鬼籍に入ってしまったが、達人の「精神」は今も週刊新潮の中に脈々と息づいている。山本夏彦氏の『夏彦の写真コラム』。幾星霜を経てなお色あせない厳選「傑作コラム集」。
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日本人の九割以上が自分を中流だと思っていると聞いて、向田邦子さんは学校給食のせいだと思ったという。皆で同じものを食べて三十年もたてば、そう思うようになる。
給食のなかった戦前は、みんな弁当を持ってきた。弁当ほどその家の貴賤貧富をあらわすものはない。時々弁当を持って来ない貧乏な子がいた。忘れたと言ってひとり校庭で遊んでいたが、誰も弁当を分けてやるものはなかった。友に弁当をめぐんでもらって恥ずかしくないものはないから、子供心にも見て見ぬふりをしたのだと、向田さんはそれはそれで仕方がないと書いていた。
けれどもみんな中流になるのは、結構に似て結構でないと私は考える。以前は最下級は最上級をうらやまなかった。裏長屋の住人はお屋敷の住人に、また小学卒は大学卒に関心を持たなかった。そもそも比較しようとしなかった。貧乏人九人に金持一人、小卒九人に大卒一人なら、以前はどこへ行っても貧乏な小卒ばかりでのびのびできたが、今は洗うがごとき貧乏はなくなった。高校を出ない若者は希になった。
大卒はふえるばかりだから、短大卒さえ肩身がせまくなった。短大は四年分を二年で学ぶのだから、四年制よりむずかしいのだと言う女の新入社員がいるので、その無念が察しられるのである。こうして短大出は大学出を許さなくなった。大学出はさらにふえるから、無念はさらにふえるだろう。また婚礼の披露をホテルでするなんて、昔は並の勤人は考えもしなかったが今は考える。無理をすれば出来るから、出来ない家は出来る家を憎むようになる。
以上羨望嫉妬こそ民主主義の基礎である。まなじりを決して、以前は思いもよらなかったことまでねたんで呪って、心の安まる日がないのが我ら中流である。二十万円の月給取は〇十万の医師の収入を許すことが出来なくて、正義を持ちだして、その正義が嫉妬の変身したものだと思わなくなった。それを指摘すると怒るようになった。
醜いことは他人の生活をうらやむこと、尊いことは奉仕して恩に着せぬこと、素晴しいことは感謝の念を忘れぬこと――と私が言っても信じないなら、福沢諭吉が言っている。
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