山口瞳『男性自身』傑作選 「近頃の職人」(1972年6月)

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 すでに鬼籍に入ってしまったが、達人の「精神」は今も週刊新潮の中に脈々と息づいている。山口瞳氏の『男性自身』。幾星霜を経てなお色あせない厳選「傑作コラム集」。

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 将棋の駒(こま)造りの名人である宮松幹太郎さんが亡くなったことを新聞で見たときは、驚きもしたし、がっかりもした。私も将棋連盟の方を通じて駒を頼んであったのだ。その話が出たのは二年以上も前のことになろうか。名人気質の人で、なかなか仕事をしてくれないのだと聞いていた。私は、あと二年でも三年でも待つつもりでいた。

 私が驚いたのは、突然の死と、宮松さんの年齢だった。四十五歳であるという。名人と言われるからには、もっとお年寄りではないかと思っていた。漠然と六十歳以上だと思っていた。四十五歳と聞いて、余計に残念に思った。まだまだ、もっともっと名人上手になる余地があったということになる。もうひとつは、四十五歳であると、ひょっとしたら、後継者を育てることなしに亡くなられたのではないかという危惧(ぐ)があったからだ。

 駒造りは宮松さん一人ではない。なんとかして後に残った人を育てる方法はないものだろうか。誰もいなくなってから騒ぐのでは遅いのである。私は、将棋は、いまや日本における唯一無二の国技であると思っているので、国庫扶助があっても少しもおかしくないと考えている。

 将棋の駒は東京で造られたものが一番いい。これは常識である。もうひとつの産地である天童市の業界にも危機が訪れようとしている。それはプラスチック製の駒が出廻るようになってきたからだ。それでいいということになると、プラスチック専門の大工場の一部門でもって日本全国の需要をまかなえるようになってしまうと思う。

 プラスチック製品がいけないというのではない。麻雀(マージャン)の牌(パイ)なんかは象牙(げ)よりも、プラスチックのほうがいい。しかし、将棋の駒だけは、柘植(つげ)を彫って黒漆で埋めたものでなければ味がない。プラスチックの白い駒だと、なんだか、褌をやめてトレーニングパンツで相撲をとるような気分になってしまう。

 こんなことを考えるのは、老人趣味であろうか。

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 将棋ついでにもうひとつ言うと、昔の将棋指しは、坂田三吉はもとより、関根名人にしても木村名人にしても、小学校も満足には通わないで棋士になった。大山名人、升田九段も同様である。その頃、中学を卒業した将棋指しは、インテリ棋士であった。なかには、時計の文字板の読めない棋士がいた。彼は腕時計をはめている。彼は時刻を訊(き)かれると、腕時計を見るが、実際は腹時計で答えるのである。

 いまの棋士の卵(奨励会々員)は、たいてい、高校を卒業しているか在学中かのどちらかである。中原十段も米長八段も高校を出ている。

 それはそれでどうということはないが、世のなか全般に、誰もが高校を出る、誰もが大学に進むということは、何か間違いであるような気がして仕方がない。相撲取りでさえも中学を卒業しないと本場所に出られないそうだ。これは棋士や力士を馬鹿にしているのではなくて、私は一芸に秀でるということは素晴らしいことだと思うし、ある年齢に達してしまうと、それからではもう遅いという職業があると思うからである。たとえば歌舞伎役者がそうだ。私は、大学に通うかたわら歌舞伎座に出演している若手俳優なんかを見ると、本当に腹がたってくる。どちらかにしてもらいたい。それは大学を馬鹿にしているか芝居を馬鹿にしているかの何(いず)れかであるからである。

 誰もが大学へ行く。やれ民主主義だ、やれ教育の機会均等だという。すると、こんどは、親も子も、世間体のために大学に進学したりさせたりということになる。

 私は、大学へは行きたくないが、高校卒で勤めに出るのは親類や近所の人にミットモナイということで、大学卒の年齢に達するまで、一日中、家のなかでじっとしている少年がいるという実例を知っている。

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 特に、大学を卒業してから(普通は二十二歳か)ではもう遅いと思われる業種は、職人の世界である。

 私が小学生であった頃、勉強はあまり出来ないが、図画や工作はとびぬけてうまい生徒がいた。手先の器用な子供がいた。勉強は嫌(きら)いだが性質が素直で、教室以外の命令はきちんと守る同級生がいた。遠足に行くと、植物に精(くわ)しいので驚かされる子供もいた。

 その頃、私の家に出入りしていた仕事師は、子供のときに勉強が大嫌い、喧嘩(けんか)が大好き、火事や大風で他人のために働くのが大好きという男で、もし、鳶(とび)という仕事がなかったら俺(おれ)はどうなっていたかわからないと語っていた。彼は、ヤクザは大嫌いなのであった。

 こういう子供が、世間体のために、無理矢理に高校や大学に進学させられるというのが今日の現状である。しかもその大学たるや、勉強をしているのか遊んでいるのか、お医者さんゴッコをしているのか革命ゴッコをしているのか、わけがわからない。

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 かくして、妙な職人が出来あがる。

 たとえば大工であるけれど、何月何日までに出来あがりますと言って約束が守られたためしがない。家具職人も同様である。何月何日に設計図と見積りをもって伺いますと言っていて来たためしがない。半月も一ト月も放っておかれる。持ってきた設計図を見ると、二時間もあれば描けるような青写真であり、大半は既製品を使用している。そのあたりはまだいいとしても、何月何日に来るというその日に、これこれで行かれなくなったという電話連絡のあったことがない。こっちは一日中待ちぼうけを喰(く)らってしまう。

 ある人に聞いたところによると、この節の職人に仕事を頼むときは、くどいほどに念を押し、時には叱(しか)りとばし、支払い条件で縛るなどして喧嘩ごしでやらなければいけないという。私はそんなことは出来ない。

 電気、水道、ペンキ、タイル、みんなそうだ。植木屋もそうだ。約束した日に来ない。電話一本かけるでなし、謝ることもない。そうして、来るときは、突然、やってくる。こっちの都合なんかどうでもいいらしい。来客中のときもあれば、徹夜で仕事をして、これから寝ようというときに押しかけてきたりする。それも、乗用車とスポーツカーの二台で来たりする。

 ひとつには、高校を出たり大学を出たりして、いっぱしの技術者、会社員のつもりでいて、サラリーマンとしてのルールを知らず、訓練も受けていないということがあるのではなかろうか。いずれも会社組織になっていて、社長なり専務なりであって、思うがままに振舞おうとする気配がある。律義な職人気質なんか持ちあわせず、理窟(くつ)ばかりまくしたてる。ただし、私の見たところ、悪人はいない。つまり、何かが間違っているのである。心得違いをしている。とにかく、約束を守らない請負い仕事なんか、はじめから成立しないはずだと私は考える。

 第二に、新建材のことがある。鉄骨屋は理解してもガラス屋がわかっていない。ガラス屋がわかっても、といこんどは樋(とい)を造る職人がどうしていいかわからなくなる。そんなことで齟齬(そご)が生ずる。

 第三に、たとえばプレハブ住宅のことにしても、大量生産になっていないからコストが安くならないし、外郭は早く出来ても内部のことに手間どって、結局は期日に遅れるということになる。すなわち、約束が守られない。

 私は、やはり、各種学校というか、専門家養成所というか、そういう教育が行われたほうがいいと考えている。

「鬼籍に入った達人『山口瞳』『山本夏彦』 三千世界を袈裟切りにした『傑作コラム集』」より

週刊新潮 2015年8月6日通巻3000号記念特大号掲載

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