「手記騒動って何?」元少年Aを野に放った「法務大臣」の当事者意識
まさに暖簾に腕押し、糠に釘の如し。元少年Aの更生を所管した当局の最高責任者は、果たして問題の著書『絶歌』を読んだのか否か。矢も盾もたまらず手に取り、貪(むさぼ)り読んだとすれば、その自己顕示欲の異様さに何を思ったか。それを質(ただ)そうとしたものの、返ってきた反応には愕然とするほかなかった。Aを野に放った時の法務大臣、野沢太三氏(82)は、本誌(「週刊新潮」)の取材にこう訊き返してきたのだ。
「手記の騒動って、何?」
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関東医療少年院で矯正教育を受けた元少年Aが、施設を仮退院したのは、2004年3月、21歳の春だった。最大で26歳まで収容できるから、担当者らが、「Aは更生プログラムを終了し、病=性的サディズムは完治した」と判断したことを受けての決定のはずである。
当時の小泉純一郎内閣で、2003年9月から1年間、法務行政のトップを務め、少年Aの“出所”を“決裁”したのが元自民党参議院議員の野沢氏だ。むろん、世を騒然とさせた今回の手記問題にも強い関心を抱いているものと思ったのだが、現実は先に述べた通り。彼とのやりとりを再現すると、
――少年Aの手記発表を受け、ご見解を伺いたい。
「手記って、何ですか。昔のことだから」
――『絶歌』という本は読んでいないですか?
「全然、読んでいません」
――もしかするとAの本が出たこともご存じない?
「全然、その本も知らないし。騒動になっているのも知らない。取材をお受けしても、お話しすることもないと思うんです。そのように本を書いて、反省をして、立ち直っていただければ、よろしいかと思いますね」
万事この調子。土師淳君の父親、守さんが事前に発売中止を要請したが、出版が強行され、かつ回収を要請したにもかかわらず、増刷された一連の経緯を把握していないため、頓珍漢な回答に終始した。氏は高齢とはいえ、矍鑠(かくしゃく)としており、会話もいたってスムーズに行えることを、念のため、付言しておきたい。
■性障害は完治したのか?
野沢元大臣を筆頭に、少年Aの矯正教育に関わった責任者たちが問われるべきは、“Aは、本当に性障害が治癒したうえで自由放免とされたのか否か”という点である。著書では、彼が溶接工の仕事仲間から写真を撮られ、逆上し、カメラを取り上げ、踏みつけて壊したことが明かされている。未だ彼の中に抑えがたい攻撃衝動が残っている点が窺えるのだ。精神科医の町沢静夫氏はこう分析する。
「彼の犯罪には、淳君の首を学校の門に置いて、世間や警察を挑発する声明文を出すなど、強い自己顕示欲が見てとれた。今回の手記には非常に凝った表現が多く、文学が意識されている。発表に踏み切ったのは、Aの心中で、遺族への償いの気持ちより、本を出したい、という文学的な虚栄心が勝ってしまった側面があるから。これは、未だ彼の中に顕示欲が強固に存在していることの表れと言えます。手記の出版自体、同様の罪を犯しかねない傾向が、彼の内に残っていることを意味する」
――矯正教育が充分ではなく、性障害が完治していない段階で、Aを世に送り出してしまったのではないか?
野沢元大臣にこう迫ると、
「私に言われてもね……。そういうのは、各々の担当のところでしてもらっていますから、実際に私が判断することではない。形の上では最高責任者ですけど」
当事者意識の欠片(かけら)もない。