「照ノ富士」を先物買いした「お目の高い彼女」

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 大混戦となった大相撲夏場所。賜杯を受け取る姿がお定まりとなった横綱・白鵬(30)を抑えて優勝、大関昇進を確実にしたのは、関脇・照ノ富士(23)である。次代の角界を背負って立つであろう彼には、幕内下位の頃から交際している「お目の高い」彼女がいた――。

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 陽気で快活、豪放な性格ゆえか、角界に現れたニューヒーローは人に恵まれ、人に好かれているようだ。

 照ノ富士がいかに周囲から愛されているか。それを感じさせるシーンは、初優勝を飾った夏場所の千秋楽だけを見ても多々あった。

「勝った瞬間に照ノ富士のことが頭に浮かんだよ。よかったな、って……」

 結びの一番の後、感慨深げにそう漏らしたのは同じ伊勢ヶ濱部屋に所属する兄弟子、横綱・日馬富士だ。千秋楽、11勝3敗で横綱・白鵬と並んでいた照ノ富士は、先に碧山を盤石の相撲で下していた。結びで白鵬が勝てば優勝決定戦、日馬富士が勝てばその時点で照ノ富士の優勝である。弟弟子のためにも負けられない一番に臨んだ日馬富士は、立ち合いの後に突き放されて土俵際まで追い込まれたが、そこからが圧巻だった。カエルのように俊敏な動きで白鵬の胸元に飛び込んでもろ差しを果たし、不意を突かれて慌てる相手を一気に寄り倒したのだ。そして漏らしたのが、自らの勝利よりも弟弟子の優勝を喜ぶ先のコメントであった。

 照ノ富士は初優勝が決まり、大関昇進が確実になるその瞬間を、東支度部屋で迎えた。彼が祈るような眼差しで見つめるテレビが、横綱同士の結びの一番を映し出す。決着が付くと、彼はすぐそばにいる人物と抱き合って喜んだ。それは付け人の駿馬(33)で、長らく照ノ富士を支えてきた1人である。

「駿馬は杏林大学出身で元々は教員を目指していたという経歴の持ち主です」

 と、相撲記者は言う。

「結構、短気な側面もある照ノ富士ですが、日本でのしきたりとか、言葉遣い、悩み相談など、あらゆる面で頼りにしているのが駿馬です。駿馬がこれまでうまくコントロールしてきたからこそ、照ノ富士は道を踏み外さずに成長できたのではないでしょうか」

 実際、優勝翌日のインタビューで、照ノ富士は駿馬についてこう語っている。

「兄貴みたいな(存在)。この世界に入って、ずっと一緒なんで。良い時、悪い時、全部教えてくれる人」

 モンゴルのウランバートル出身の照ノ富士が逸ノ城と共に鳥取城北高校に相撲留学したのは2010年。問垣部屋に入門し、初土俵を踏んだのは11年5月である。そんな彼に転機が訪れたのは13年春。所属していた間垣部屋が閉鎖になり、伊勢ヶ濱部屋に移籍することになったのだが、

「それが彼にとってプラスに働いた。伊勢ヶ濱部屋には横綱の日馬富士をはじめとして幕内力士が4人もいたので、充実した稽古をつめるようになったのです」

 先の相撲記者はそう話す。

「しかもその4人のタイプが全く違う。日馬富士は立ち合いの鋭さで勝負する力士で、誉富士は押し相撲が得意、宝富士は左四つ相撲で腰が重く、安美錦は技のデパート。照ノ富士はそうした先輩から様々な相撲を吸収し、どんなタイプの相手にも対応できる柔軟性を身に着けていったのです」

 ちなみに付け人の駿馬は間垣部屋時代からの“同志”だが、もう1人、照ノ富士躍進の功労者として忘れてはならないのが、稽古の厳しさで知られている伊勢ヶ濱親方だ。審判部長として照ノ富士に優勝旗を手渡した親方は、

「何かジーンときたね」

 と目を潤ませていたが、

「その後、部屋で行われた祝賀会には500人以上の後援者が詰めかけ、親方も嬉しそうでした」

 と、伊勢ヶ濱部屋の後援者の1人が語る。

「照ノ富士は駆けつけてくれた人たちにお礼して回り、おかみさんは“夢のようだ”と言っていました。日馬富士は後援者から“男の中の男だ”と持ち上げられ、涙ぐんで喜んでいました」

■真行寺君枝似の美女

 彼を支えてきた誰もが優勝を我が事のように喜ぶ。そんなシーンが様々に見られたのだが、優勝当日は表舞台に姿を現さなかったものの、もう1人、照ノ富士を陰で支える人物がいる。

「彼と同じウランバートル出身の20代の女性です。照ノ富士と彼女は現在、伊勢ヶ濱部屋からほど近いマンションの一室で“半同棲”に近い生活を送っているのです」(部屋の関係者)

 遡ること約半年、昨年暮れにはすでに件のマンションに照ノ富士が“帰宅”する場面が目撃されているが、今年1月にはこんなことがあった。

 酒豪で知られる照ノ富士が錦糸町にある行きつけの飲み屋から1人で出てきたのは夜も更けた0時頃である。タクシーに乗り込み、直接マンションに向かうのかと思えば、JR錦糸町駅前でハザードランプを点滅させて一旦停車。ほどなくして、どこからともなく現れ、タクシーの後部座席の照ノ富士の隣に滑り込んだのは、長いストレートヘアーが目をひく美女である。どことなく女優の真行寺君枝に似た彼女と照ノ富士がタクシーを降りたのは件のマンションの前で、2人は中へと入っていった。

 伊勢ヶ濱部屋のある方向から、携帯電話で誰かと話しながら照ノ富士が付け人らしき人物とマンションの前まで歩いてきたのは4月上旬、とある日の夜だ。そこで付け人とは別れ、マンションの玄関先まで出てきていた彼女と言葉を交わした照ノ富士はオートロックを開けて中へ。その際照ノ富士に頼まれたのか、彼女は近所のスーパーに向かい、しばらく後、買い物袋を提げて急ぎ足で彼の待つ部屋へと帰って行った。

 急成長を遂げる角界のホープを甲斐甲斐しく支える同郷の美女――。そんな図が浮かび上がるが、夏場所が始まる前々日、5月8日にはこんな光景が。

 グレーのタンクトップにチェック柄の短パンというラフな格好の照ノ富士がマンションの部屋から出てきたのは、午後7時半前。マンションの入り口前で携帯を眺めること数分、どこからか彼女が帰ってくる。照ノ富士と言葉を交わした彼女は一旦部屋へ行き、ほどなくして入り口に戻ってきた。そして2人は仲良く歩きだし、近くの交差点でタクシーを止めて乗り込んだのだ。時間からいって、夕飯を食べに出かけたのであろう。

 力士としてスケールが大きい。そう評される照ノ富士の生活ぶりはストイックというより、豪快さが目立つ。場所中でも多少の不摂生はお構いなし、とばかりに夏場所13日目には錦糸町と両国にある行きつけの店をはしご。マンションに帰ってきたのは、午後11時過ぎだった。その後、黄色地に黒いラインが入った浴衣姿でマンションの廊下に出てきてしばらく夜風にあたっていたのは、酔い覚ましのためだったのか。部屋に戻った彼は、その日の取組について彼女と言葉を交わしただろうか。

■知り合ったのは来日前

 優勝の翌日、照ノ富士に彼女の存在について聞くと、

「なんでそんなこと聞くの? 部屋を通して」

 の一点張り。一方、同じ日、彼女にも照ノ富士との関係について質したところ、

「普通の友達です」

 そう繰り返した上で、次のように答えた。

――照ノ富士さんと毎日のようにマンションで一緒に過ごしていますよね?

「普通の友達だからご飯食べに来てもいいですよね」

――照ノ富士さんと出会ったのは彼が来日する前?

「来日する前です」

――あなたはどういう経緯で来日した?

「私、勉強しに来ちゃいけないんですか?」

――2人は同棲している?

「ご飯食べたら(彼は)帰りますよ。毎日ではない」

――夜中に、女友達の家にご飯を食べにくる?

「行かないんですか。モンゴルでは普通なんですよ」

――最後に会ったのはいつですか?

「いや、最近会ってない」

――5月8日、タクシーに乗って出かけましたね?

「モンゴル料理屋さんに行こうとした。それいけないんですか?」

 こうして最後の最後まで頑なな態度を崩さず、彼女は件のマンションヘと帰って行ったのである。

「照ノ富士はまだ彼女のことを部屋の後援者などにもお披露目していないので、今は友達ということにしておきたいのでしょう」

 そう語るのは、前出の伊勢ヶ濱部屋の関係者。

「照ノ富士が彼女と交際しているのは間違いありません。確か彼女は学生だったと思いますが、日本で何を勉強しているのかは知りません。付き合い始めて1年くらいだと聞いています」

 1年前といえば、照ノ富士はようやく新入幕を果たした頃。その彼を、将来輝くダイヤの原石と見込んだ彼女はお目が高いと言える。無論、彼女の献身的な支えがあったればこそ、今日の成功があるという見方もできるのだが――。

週刊新潮 2015年6月4日号掲載

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