広末涼子「尽くす相手がいることが幸福」――鼎談 広末涼子×浅田次郎×中井貴一(5)

芸能週刊新潮 2014年9月18日菊咲月増大号掲載

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 9月20日公開された映画『柘榴坂の仇討(ざくろざかのあだうち)』。原作者・浅田次郎さん、主演の中井貴一さん、その妻を演じた広末涼子さん。映画は江戸から明治にかけて日本人の価値観が大きく変わる時代が舞台となっている。激動の時代を生きた侍とその妻を演じた二人の感想とは。

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広末:金吾さんと手をつなぎ後ろ姿で歩いてゆくシーンは、セツにとってはすごく嬉しい場面で、演じる私もむしろ幸せな気分でした。

中井:侍である金吾がセツと手をつなぐことについては、賛否両論あると思います。原作にもそういう描写はありませんが、僕は手をつなぐことにこだわりました。金吾は上司から「主君の仇討を果たすまでは切腹を禁じる」と言われる。でも金吾は、切腹する気なら、上司の命に逆らっても切腹してしまう男だと思う。セツが「仇討があなたの務めならば、それを果たしてください。私はずっとあなたの傍にいます」と言ったから、13年もの歳月、仇(かたき)を探し続けることができたのだと思います。最後に金吾が選んだ結末も、愛情という大きな力を妻からもらっていたからでしょう。やっと仇討という呪縛から解き放たれた男の「妻への感謝」と新しい時代に向き合う「決意」を、侍が自分から妻の手を取るという行動で表現できたらいいなと思ったんです。

浅田:僕も、あれで正解だと思いますよ。明治という新時代に向かって二人が歩み出すわけだから。実は、この「柘榴坂の仇討」を収めた『五郎治殿御始末』という短編集のテーマはそれなんです。御一新を迎えて日本中がいわば「回れ右」をして歩き出す。その中で、なかなか回れ右できない者、前に進めない者のことを書いたのがこの短編集です。金吾とセツのあのシーンは、作品のテーマに沿った良い終り方だと思いました。

広末:逆にセツが頑張れたのも、金吾さんの生き方を尊重したかったからですし、金吾さんが愛おしくて大切で尊敬できる存在だったからだと思います。恋愛にしても夫婦関係でも、今の人は皆「ギブアンドテイク」を求めますが、私はそうでなくていいと思っているんです。見返りのために尽くす、ではなくて、尽くす相手がいることが幸福だと思う。セツという役を演じてそう感じましたし、だからこそ、この映画が大好きです。女性が強くなって、社会の中でしかるべきポジション、収入を得て、世界中で活躍する、そんな時代ですが、歳月をかけて育まれてきた日本の女性の姿を――所作の美しさとかだけでなく、様々な制約の中で発揮してきた芯の強さも――守っていきたいと思います。

浅田:小説家の女房は、基本的にセツと同じですよ。小説家になろうと思ってすぐなれるわけじゃない。40歳過ぎてのデビューなんて当たり前の世界だから、その間、女房に食わせてもらわないまでも、こういう支えがないと絶対無理。僕も、家内には感謝しています。

広末:セツを演じていると、「ありがとう」と言ってもらおうなんて思ってないのが、よく分かるんです。最後の「苦労をかけたな」の一言だけで、もう十分。

浅田:男はなかなか、ありがとう、とは言えないからね。だから、黙って自分から手を差し伸べる、というのは、男として共感できる。原作では、セツについては簡単に書いてあるだけですが、それを映画はとても深く、きれいに描いてくれたと思います。

デイリー新潮編集部

「特別読物 映画公開記念! 鼎談 広末涼子×浅田次郎×中井貴一「柘榴坂の仇討」に刻まれた日本人のDNA」より