小保方さんに実験ノートを見せろとはだれも言えなかった――「STAP細胞」とは何だったのか? 科学者本音座談会(2)

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 世紀の大発見であったはずが、瞬く間に日本の科学史のうえで最大級の汚点に堕し、世界的な学者の死までをも招くに至ったSTAP細胞騒動。いまや信用が地に落ちた日本の科学界の渦中にいる科学者たちが、一連の騒動の表から裏までを、本音で語り合った。

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丸山篤史 かつてiPS細胞などを扱っていたときは、上司からノートを細かく書くように言われました。人間の記憶は瞬昧なので、細かな違いを逐一チェックし、データや写真を残しながらブラッシュアップするように指導されましたね。

緑慎也 山中(伸弥)さんがマウスのiPS細胞の論文を「セル」誌で発表したのは06年ですが、前年に黄禹錫の事件があったので発表を遅らせたんです。ES細胞研究への風当たりが強いので、実験結果の解析をさらに固めようと考えた。成功例も失敗例も全部細かく書いたノートをまるごと「セル」編集部に提出したと聞きました。正しい結果を持っていても、そこまできちんとしたんです。

竹内薫 一方、笹井(芳樹)さんも若山(照彦)さんも、小保方(晴子)さんに実験ノートを見せろと言えなかったと言っています。

緑慎也 小保方さんは若山研究室に籍を置いていた当時は、ハーバード大学から送り込まれたお客さんでした。

竹内薫 お客さんには言い出しづらい?

緑慎也 若山研究室の特殊な事情もあります。研究者はみなマニピュレータを使って実験し、ほかの研究者が横にいる環境で若山さんから実地訓練を受けるため、ノートも開きっ放しで見せろと言うまでもない。しかし、ひとり別の部屋にいた小保方さんに、あえてノートを見せろとは、言いづらかったのかもしれません。

池田清彦 また、彼女はユニットリーダーとはいえ、実質的にひとりで研究していたのでしょう。実験結果は小保方さんしか知りえなかった可能性はあります。ただ、笹井さんが論文に直しを入れたとき、怪訝に思った部分があると思うんです。

緑慎也 信頼関係という意味でのマナーがあるのは事実ですよね。「見せろ」と言うことは「疑っている」ことにほかならないわけです。

出席者:竹内薫(科学作家)、池田清彦(早稲田大学国際教養学部教授)、榎木英介(近畿大学医学部講師)、緑慎也(サイエンスジャーナリスト)、丸山篤史(医学博士)

「特集 威信と信用が音を立てて崩れ去った 『日本の科学者』本音座談会 『STAP細胞』とは何だったのか?」より

週刊新潮 2014年8月28日秋風月増大号掲載

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