吉祥寺があぶない 「住みたい街No.1」の果てにあった「田舎のショッピングモール化」

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 この春、吉祥寺は、大きく変わった。かつて、さんざん吉祥寺に通い詰めたというサブカル女子も、「キラリナ京王吉祥寺」のオープンに誘われて久々に足を運び、「えっ、こんな街だったっけ」と驚いた。かつては、どこかのんびりした、垢抜けない印象が残っていた街がピカピカになり、意味のない隙間のような場がなくなった。「ユザワヤ」も面積が減り、謎のホビー用品を眺める楽しさが失われて期待外れ。いつかは慣れるかと思うが、北口の駅の改札の広々とした空間が無くなったのも世知辛く、印象として大きいのは、人が増えたことと、「無印良品」が「ドン・キホーテ」に変わっていたことだった、という。再開発により、総じてどこにでもある郊外のショッピングモール風の街に近づいてしまった。今後は独自の文化を育んだ居心地の良い場所はなくなり、ただ人が集まるだけの渋谷のような街になってしまうかもしれない。もはや立川を「田舎のショッピングモール」と笑えない、井の頭公園への依存は高まるばかりである。

(上左)「バウスシアタ-」のロビーは立錐の余地もない
(上右)最後の上映の館内は立ち見、通路の座り見など、ぎっしり

■消える吉祥寺発文化

 一方、閉館が決まっている映画館「吉祥寺バウスシアター」は圧倒的な存在感を見せた。その閉館が新聞各紙に取り上げられたこともあり、最後を飾った「第七回爆音映画祭」は大盛況。映画五本に千二百人が集まった日もあり、「ケミカル・ブラザーズ:DON'T THINK」では二百二十席の会場に三百三十人入れたという。映画上映の最後を飾ったマーティン・スコセッシ監督のザ・バンドの解散ライブのドキュメンタリー「ラスト・ワルツ」も三百人を越えて、名残りを惜しむ人でぎっしり。拍手や歓声が飛び交い、館内はとんでもなく熱い祝祭的空間だった。上映が終わった後はさながら撮影会で、建物と一緒に写真に納まる人がたくさんいた。

 もっとも、最後の舞台挨拶で爆音映画祭のプロデューサー樋口泰人氏が語った通り、「爆音上映」そのものが終わったわけではない。樋口氏の「マスコミの方がたくさん取材に来ているようですが、何か(バウスシアターの終焉という)終わりの美しい物語を作り上げようとすることには、断固中指を立てて行きたい!!」という発言には大拍手が起こった。「爆音上映」はテキサスにも進出するようで、吉祥寺発の文化が世界に広がってゆくのは喜ばしいことである。問題なのは、「新潮45」5月号の特集「吉祥寺があぶない」で警鐘を鳴らした通り、バウスシアターの閉館により吉祥寺という街の空洞化が一気に進みかねないことである。この危機感は吉祥寺界隈で共有されているようで、同書は吉祥寺周辺の書店で注目を浴びているという。

「さようなら」の看板

■地主の「お寺さん」が原因?

 今、脚本家の羽田野直子さんの呼びかけにより、「バウスシアター再生計画」という運動が起こっている(http://bausonbaus.s2.weblife.me/)。武蔵野市市長、邑上守正氏に「地主である月窓寺への借地料に関する契約更新の調停、ならびに、映画館の経年劣化を修繕補修するための助成費を要望」する内容である。現在二千六百人の賛同者が現れており、帰趨はどうなるかまだ見えない。ただ、今回の動きで大きいのは、吉祥寺の空洞化が、地主である月窓寺に払う地代がとんでもなく高いために起こっていると、明らかになったことだろう。なにしろ、月窓寺から提示された借地権の更新料が一億五千万円というのだから、とんでもない。宗教法人がそんなにお金儲けしていいものか。

 現状が続けば、北口サンロード商店街のシャッター化が進むことは間違いない。ついに、吉祥寺もエキナカだけで足りる、歩く必要を感じない街になるのだろうか。幸い、バウスシアターの本田拓夫社長は、吉祥寺の別の場所に映画館を作り、再び「爆音上映」を行う決意を語っている。しかし、そこまで吉祥寺は大丈夫か。少なくとも、あの懐かしい「若者の街」の風情は、もうどこにも残っていない。

新潮45」2014年5月号掲載『特集 吉祥寺が危ない』(『「住みたい街No.1」の知られざる現実』、『ラスト・バウス あるミニシアターの終焉』全文は現在各電子書籍ストアで発売中。

デイリー新潮編集部

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