「早い話がモルモット」「ほんとに止まるんかいなと」…64年の東海道新幹線「第1号列車」 運転士2人の選抜テストから当日の不安まで
不安いっぱいの第1号列車
東京五輪の開幕を間近に控えた1964(昭和34)年10月1日、東京と大阪をつなぐ“夢の超特急”が開通した。日本の技術力を象徴する存在として、海外での知名度も高い東海道新幹線。国鉄民営化、数々の技術革新・改良を経て、現在も国内外の乗客を迎え入れるJR東海の“ドル箱路線”である。
映画「ブレット・トレイン」でブラッド・ピットが暴れまわる舞台となったり、「新幹線大爆破」では“一定の速度を下回ると爆発”という無茶な条件をつけられたりと、フィクションの世界でも独特の存在感を放つ新幹線。が、東海道新幹線の「第1号列車」に乗務した運転士たちは、「果たしてキチンと動くか」という不安を抱いていたという。1986(昭和61)年、その運転士が当時の「週刊新潮」に明かした舞台裏とは――。
(「週刊新潮」1986年3月6日号掲載記事を再編集しました。文中の年齢等は掲載当時のものです)
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遠い雲の上の出来事だと
1964年10月1日午前6時、東京と新大阪から同時にスタートした東海道新幹線の第1号列車。その運転士という大役を担ったのは、東京発が山本幸一運転士(59=1986年の取材時)、新大阪発が大石和太郎運転士(53)で、ほかに1名ずつの副運転士が乗務していた。
両運転士とも戦後、蒸気機関車の“釜たき”から国鉄人生をスタートし、昭和30年代に入って電化の兆しが見え始めるや、進んで電車運転士へと転身したのだった。
東海道新幹線は1959(昭和34)年に着工。1963(昭和38)年初頭までには、東京と大阪で新幹線運転士への転換希望者を募っていた。
すでに退職した山本氏が当時を振り返る。
「1958(昭和33)年頃から新聞で“夢の超特急”と騒がれだしたんですわ。私らは遠い雲の上の出来事だと考えていたが、運転士の公募でしょ、“こりゃあわよくば”と思いましたよ」
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