「戦力外通告」を受けた選手が集まるトライアウトに「野球チーム」だけでなく「一般企業」が熱視線を送る理由
プロ野球シーズンの終わりと共にやってくる「戦力外通告」。新しく入って来る選手と入れ替えに、球界から去っていく選手もいます。選手としての活躍期間は限られているため、自分で人生設計を組み立てなければならないプロスポーツ選手たち。東海ラジオで35年間、プロ野球実況を担当した村上和宏さんは、多くのプロ野球選手の「その時」を取材してきました。
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第1次戦力外通告
プロ野球では9月28日から、第1次戦力外通告期間が始まりました。
野球を始めた子供のころから憧れたプロ野球選手になる……それはごく一握りのエリートと言ってもいいでしょう。その道を絶たれる厳しい現実が「戦力外通告」です。
私も30年以上のプロ野球取材を通じ、戦力外通告を受けた選手を何人も見てきました。特に公私ともに親しくしていた選手が戦力外通告を受けると、とても他人事とは思えない、つらい思いをしました。多くの場合、沈んだ声で電話がかかってきます。
「明日、球団事務所に来るよう言われました……」
球団から連絡を受けた段階で本人は「戦力外の通告だな」と悟ります。そして当日、通告を受けた後に「やっぱり戦力外でした。今までお世話になりました」という内容の報告が来るのです。通告を受けた選手の中には、球団からバッティングピッチャーやスコアラーなど裏方の仕事に就かないかという打診を受ける人もいます。
若ければ若いほど「まだやれる」「他の球団ならもっと力を発揮できる」という思いが強い選手が多いので、裏方の打診を受けた選手は、現役続行か、球団職員として安定した収入を取るのか、決められた返答期限の中で決断しなければなりません。
戦力外通告を受け、短期間で次の人生をどうするか決断を迫られる姿は(私が何も力になれないこともあって)、見ていて胸が締め付けられる思いでした。
いわゆる「セカンドキャリア」はプロスポーツ界の大きな課題の一つです。キャリアサポートセンターを設置して、新人選手の頃からキャリアデザイン対策を講じるなど、一歩先んじているJリーグをはじめ、NPB(日本野球機構)もここ数年は組織としての取り組みを強化しています。
かつて戦力外通告を受けた選手は、他球団から契約の誘いがなければ強制的に「引退」を余儀なくされ、自分で第二の人生を模索するしかありませんでした。その後、プロ野球選手会の要望で「トライアウト」が実施されるようになりました。さらにシーズン中に大きな手術を受け、すぐには試合に出られない状態の選手に関しては支配下選手としての契約は解除するものの、育成選手としての契約を結びなおして回復を待つというケースも増えてきました。
このトライアウトについて経緯を振り返ります。
トライアウトの正式名称は「12球団合同トライアウト」といいます。2001年に第1回が実施されました。
当時は、各球団が保有する選手と次年度も契約を希望する場合、11月末までにNPBに「契約保留選手」として届け出て、12月最初の平日にNPBから公示されました。このため各球団は12月までに「戦力外通告」を行っていましたが、時期については定めがありませんでした。そのため、例えば日本シリーズに進出したチームは戦力外通告がシリーズ終了後になり、通告を受けた選手が他球団の入団テストを受けたいと思ってもすでに終了していて現役継続のチャンスを失う、というケースもありました。
こうした球団ごとのばらつきがあっては、戦力外となった選手の機会が均等ではないと2001年、プロ野球選手会が球団側と協議を続け、12球団合同のトライアウト実施と、トライアウトまでに戦力外通告を行うことになったのです。
しかし、この時の合意ではトライアウト以外の入団テストも容認する内容だったため、各球団がトライアウト実施前に個別で入団テストを実施するケースも多々あり、開始当初から形骸化が懸念されていました。
そこでプロ野球が再編問題で揺れた2004年、選手会はトライアウトの問題についても協議の議題として挙げ、この年はトライアウト実施前に各球団個別の入団テストは行わないことになりました。
これによりトライアウトは、戦力外となった選手の再雇用の場としての地位は上がりました。一方で「入団テスト」という名称を使わず、秋のキャンプに参加させて契約の可否をテストする球団もあり、唯一の手段とは言えませんが、選手会が目指した「機会均等」という目的はある程度達成されました。
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