演劇界の東大「無名塾」が50年の歴史に幕 知られざる誕生秘話とは 「死産がなかったら、作らなかった」
演劇界の東大
無名塾は3年の養成期間中は一切、授業料を取らないことでも知られた。かつて仲代さんが在団した俳優座や、青年座などの養成所は、入学金や授業料、教材費など年間数十万円を徴取する。ところが仲代さんは無報酬での指導を貫いた。
「完全無償とあって、入塾希望者は毎年全国から1000人以上が殺到しました。仲代さんと宮崎さんは、合否を書類審査では絞らず、常に全員と面接をして決めていた。合格者は例年5~6人という狭き門で、業界では“演劇界の東大”とも呼ばれましたね」(前出の関係者)
合格後でも“適性に欠ける”と判断されれば退塾となる厳しさでも知られたが、
「仲代さんは運営資金を確保するため、1年の半分を映画やドラマ出演に費やして収入を得ていました。残り半分は無名塾の全国公演とその稽古に明け暮れるという生活で、それは40年以上も続きました。文字通り、あの方は無名塾に半生を捧げたのです」(同)
その仲代さんは晩年、自身の死を見据えて無名塾の将来を案じていたという。
「死後に塾を弟子たちに続けさせるかどうか、相当悩んでいるご様子でした。結局、最後まで意向を示さないままお亡くなりになった。残された塾生たちは、折に触れて仲代さんが口にしていた言葉を振り返り、その真意を推し量った。その結果、来春に解散するとの結論に至ったのです。もっとも、現実的にはあれだけのカリスマを欠いての継続は難しかったと思いますが……」(同)
商業主義を排し、無名の若者をプロの表現者に育て続けた半世紀だった。








