横綱はケガを負っても「休まず土俵に立つべき」なのか…歴代横綱の“休場日数”を調べて分かった意外な真実 本場所での“休場ゼロ”ながら27歳で亡くなった横綱も

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“横綱は負けてはいけない”“横綱が休場を重ねたら進退を問われる”――相撲ファンの間では、そんな常識がまかり通っている。9月場所前は休場を発表した横綱・豊昇龍に対して冷たい非難が浴びせられた。怪我をして、7月場所後に右膝の手術を受けた横綱になぜそんな心無い言葉を平気で投げつけるのか、腹立たしい思いで一杯だった。批判する人は、横綱という地位に過剰な思い込みを抱き、「横綱は休んではいけない」との妄想にとりつかれているのではないか。【小林信也(作家・スポーツライター)】

横綱は休みがち

 そもそも、横綱は本当に休場していないのだろうか。調べてみると、興味深い事実が浮かび上がった。“常識”とは裏腹に、横綱は、大関以下のどの地位の力士よりよく休場しているのである。

 第74代豊昇龍以前の10人の横綱の記録を見てみよう。第64代の曙から第73代の照ノ富士まで、横綱在位合計は366場所。場所中の引退もあるので、在位合計日数は5442日となる。このうち休場の合計は1394日。「休場率」を計算すると2割5分6厘の数字が浮かび上がった。

 データで見れば、横綱は4日に1日以上、あるいは4場所に1場所以上休んでいるのだ。

 休場日数だけを比べると、10人の中で最多は白鵬の232日。横綱在位も84場所と歴代最長だから休場率は低い(1割8分4厘)。2007年7月に横綱昇進後、始めの8年48場所は一度も休まず土俵に上がり続けたのは見事だ。が、2015年9月場所で途中休場してから休場が増えた。

 次いで多いのは鶴竜の227日、3位は貴乃花で201日。いずれも大きな怪我で長く土俵を離れた印象が残っている。

 遡って第44代栃錦、第45代初代若乃花、いわゆる「栃若時代」を調べると、栃錦は横綱として292勝84敗、休場は32で休場率は1割以下の7分8厘だ。初代若乃花は254勝66敗1分、休場54。休場率は1割4分4厘だから、最近の横綱よりは遥かに「休まず土俵を務めた」と言えるだろう。だがこの時代も栃若以外はよく休んでいる。

 第46代朝潮は在位16場所で休場80日、休場率3割7分3厘。小兵横綱で知られた第49代栃ノ海は在位17場所で休場84日、休場率3割2分9厘。

 栃錦以降、照ノ富士までの30横綱のうち休場率が3割以上の横綱が8人いる。2割以上が7人だ。つまり昭和の時代から、横綱はよく休んでいたのだ。だから「横綱は休んではいけない」という決めつけは、“強い要望”ではあっても、義務でも不文律でもないのだ。

 当然と言えば当然だが、横綱に昇進する前は、朝潮、栃ノ海にしても休場率は1割前後で、たいていの力士は1割以下だ。休めないのは、休場すれば番付が下がる横綱以外の力士であって、負け越しても地位の変わらない横綱だけが「休む特権」を与えられている。横綱昇進までに年齢も重ね、古傷のような怪我も抱えがちなのだろう。若い頃よりずっと怪我で土俵に上がれない確率が高まるのも仕方がないのかもしれない。

 データを見直して驚嘆させられた横綱がいる。生涯通算成績は619勝305敗。横綱在位10場所の成績が130勝20敗。10場所中9場所で12勝以上を記録。日本相撲協会によれば、勝率8割6分7厘は「昭和以降の横綱では、双葉山の8割8分2厘、白鵬の8割7分5厘に次ぎ、大鵬の8割5分8厘を上回る」、抜群の安定感を誇ったこの力士は第51代玉の海だ。

 玉の海は土俵人生を通じて一度も休場したことがない。初土俵から横綱時代まで、1日も休まず土俵に上がり続けた。北の富士のライバルと言われ、「北玉時代」をファンが楽しみにしていた矢先、玉の海は突然病気でこの世を去った。中学時代、「横綱・玉の海が盲腸で亡くなったぞ」、唐突なニュースを午後の授業中に技術家庭科の教師から聞かされた時の驚きをいまも覚えている。不死身と思われた無休の横綱・玉の海が病魔に命を奪われた。あまりに信じられない出来事だった。

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