娘が学校で「豚」と言われていた 「西田敏行さん」が大人気ドラマ「西遊記」を降りた本当の理由

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「西遊記」辞退の真相

 広く愛された名優の西田敏行さん(76歳没)が亡くなってから、間もなく2年になる。西田さんがスターへの階段を駆け上がった時期に苦楽を共にした元マネジャーが思い出を語った。【高堀冬彦/放送コラムニスト、ジャーナリスト】

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 西田さんが実力派の人気者という評価を不動のものとしたのは、1970年代後半から80年代前半。30代を迎えたばかりのころだった。当時、マネジャーを務めていたのが舘野芳男氏(ワイティー企画代表)である。

 若き日の西田さんの人気を高めたのは、堺正章(80)が孫悟空を演じ、夏目雅子さんが三蔵法師に扮した日本テレビの伝説的ドラマ「西遊記」(1978年)。西田さんは豚の姿をした妖怪・猪八戒に扮した。最高世帯視聴率は27.4%。評判は高く、英国BBCなど海外でも放送された。

 翌1979年には、ほぼ同じ出演陣で「西遊記II」がつくられたが、西田さんは出演せず、左とん平さんが後任を務めた。出演を見送ることを決めたのは舘野氏だった。

 人気急上昇で大忙しになったためだが、理由はほかにもあった。

「まだ小さかった西田さんの娘さんが学校で『豚』と言われているのを知ってしまったから……」(舘野氏)

 仕事を受けるかどうかを決めるのもマネジャーの仕事である。舘野氏は人気が高まるに連れて仕事が急増した西田さんのスケジュールを管理するだけでなく、家族の生活にも目を配っていた。

 西田さんと舘野氏の出会いは1976年だった。学校を出たあと、就職をどうしようかと考えていた舘野氏は、やはり2年前に他界した俳優の赤塚真人さんと友人になった。俳優やその予備軍が集まる東京・西新宿の喫茶店で出会った。

 赤塚さんが出演するというので、あるドラマを観ていたところ、抜群の演技力とユーモアのセンスを併せ持つ俳優に目を奪われた。TBSのホームコメディ「いごこち満点」(1976年)での西田さんである。主演から数えて7番手で、舞台となる家に下宿する司法浪人生役だ。大きな役ではなかったものの、圧倒的な存在感を放っていた。

 舘野氏はすぐさま西田さんの所属していた劇団青年座に出向き、マネジャーを志願する。もっとも、すでに西田さんにはマネジャーがいたため、願いはかなわなかった。それでも舘野氏は青年座に採用される。

「間もなく西田さんの『夜マネ』をやるようになりました」(舘野氏)

 夜マネとは芸能界の俗語で、芸能人の夜の世話役である。運転手役などを務める。

「西田さんはとにかく仲間思いで義理堅いから、毎晩のように柴俊夫さんや田中健さんら友人と会い、酒を酌み交わしていた」(舘野氏)

 西田さんは人情家でもあったという。面倒見もよく、のちに舘野氏の結婚時の仲人も進んで引き受けた。そもそも「舘野、そろそろ身を固めろ」と命じたのも西田さんだった。

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