「グラドル時代は食べていくのでいっぱいで…」セクシー女優オファーは“契約金1億円” 半年悩んだ末の「30歳までに」の決断

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出演、「体力的には本当にしんどかった」

――セクシービデオに出てみて、大変だったところはどこですか。

矢埜:体力の部分ですね。デビュー作は例外的に4日かけて撮ってくださったんですけど、通常は撮影は朝8時から夜11時くらいまでで、一気に撮り終えることが多いんです。一本の作品で、大体3回のシーンを撮るので、体力的には本当にしんどかったですね。

――ある撮影では、泣いたという話も聞きました。

矢埜:そうですね。私自身がどうしても小柄なので、物理的なところではやっぱり痛いものは痛くて。

――どうやればもっと刺激的に見えるかなども研究されたそうですね。

矢埜:当時は本当に試行錯誤でしたね。そもそもプライベートでアクロバティックな体勢ってしないじゃないですか(笑)。映像的に見せるものとプライベートでするものも全然違いますし、見せ方がグラビア時代のイメージDVDの時とも全然違ったので。1年くらいは苦戦していましたね。

法律の影響もあり、デビュー作は撮影してから半年後に発売されたんです。なので、半年前の自分の映像が、半年後に評価される。デビュー作が発売されると口コミでいろいろ意見が書かれているんですけど「でも、そこから6本撮り終えているんだよね」と思って、見てました(笑)。

――そうなると現場でフィードバックを受けるくらいしかできないですね。

矢埜:そうですね。現場もそうですが、あとは本当に自分自身との戦いですね。男優さんのおかげでもあるんですが、作品を重ねるごとに色んなことがどんどんできるようになったり。もともと体が硬かったんですが、アクロバティックな姿勢ができるように柔軟を日頃から頑張ったり。それでも翌日はもうめちゃめちゃ筋肉痛でした。(笑)。

作品についている口コミを見るのは怖いんですけど「もっとこうしたほうがいい」「ああしたほうがいい」と書いてあるものは見て、次に活かそうと思っていました。次に活かすと言っても6本後なんですけど。

「日テレジェニック」の冠が、やっと生きた

――最終的には何本くらいの作品に出演されたんですか?

矢埜:最終的には30作ぐらいですね。SODに2年間専属として所属して、その後、マドンナという別メーカーで3作ぐらい出しています。

――矢埜さんはグラビアアイドル時代の2014年に「日テレジェニック」に選ばれています。グラビア時代はその冠を活かせなかったと以前話していましたが、「日テレジェニック」でなければ1億円の契約金はなかったかもしれませんね。

矢埜:そうですね。「日テレジェニック」の冠が、やっと生きたと思います(笑)。芸能界もそうですし、どこの業界でも「これで知名度が広がった」というきっかけがない限りはなかなか売れないじゃないですか? 「日テレジェニック」になった直後は「これでいろんな仕事ができるかな」と思っていたんですが、結局報われなかったんです。でもセクシー女優としてデビューしたことで注目度が上がって、「水曜日のダウンタウン」にも出られて知名度も上がって。本当にありがたかったです。

――かつての矢埜さんのようにくすぶっているグラビアアイドルの方もいると思うんですが、そういう方にセクシー女優転向はすすめますか。

矢埜:どうでしょう。本当に自分のやりたいことが明確にあって、セクシー女優の方が向いているなと思ったら、私は全然いいと思います。

ただ、何も考えずに飛び込むのはダメですね。私は明確に「自分はこうなっていきたい」というものがあって、その目標を達成するためにセクシー女優という職業なのかなと思って、選びました。私自身も相当な覚悟を持って挑んだことだったので。安易には全然「お勧めだよ」とは、やっぱり言えない職業ではあります。

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インタビュー中編】では、転身後に広がった仕事や『水曜日のダウンタウン』出演の舞台裏を聞いた。

徳重龍徳(とくしげ・たつのり)
ライター。グラビア評論家。ウェブメディアウォッチャー。大学卒業後、東京スポーツ新聞社に入社。記者として年間100日以上グラビアアイドルを取材。2016年にウェブメディアに移籍し、著名人のインタビューを担当した。その後、テレビ局のオウンドメディア編集長を経て、現在はフリーライターとして雑誌、ウェブで記事を執筆している。著書に日本初のグラビアガイドブック「一度は見たい! アイドル&グラビア名作写真集ガイド」(玄光社)。noteでマガジンを連載中 X:@tatsunoritoku

デイリー新潮編集部

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