予告映像だけで「宮沢りえ」の熱演ぶりがひしひしと…咥えタバコで“夜の仕事”を演じた映画「しびれ」での圧倒的な存在感
実力派俳優として
宮沢は11歳でモデルデビューしたが、その時点ですでに圧倒的な美貌が注目された。俳優デビューは、管理教育に抑圧された中学生が、学校教師や大人に「戦争」を挑むストーリーが話題になった「ぼくらの七日間戦争」(1988年)。学級委員役を演じた宮沢は、同作で「第12回日本アカデミー賞」の新人俳優賞を受賞し、一躍脚光を浴び、若くしてスターとなった。
デビュー当時は正統派美女路線を歩んでいたが、徐々に脱線。89年に発売したカレンダーでは大胆な“ふんどしルック”が話題となり、91年に発売したヘアヌード写真集『Santa Fe』(朝日出版社刊)が150万部以上のベストセラーに。この記録は、日本における芸能人写真集の売上部数として、その後も破られていない。
92年10月には、幕内力士(当時)として相撲ブームをけん引していた貴乃花光司氏(当時は貴花田、54)との婚約を発表。“世紀のビッグカップル”と呼ばれたが、わずか2カ月で破局。
「その後、映画『藏』(95年)の出演が決まっていたものの、クランクイン直前に突如降板する騒動を起こしたり、数々の男性たちと浮名を流したりなど“お騒がせ女優”と呼ばれた時期もあった。また、ステージママとして有名だった母・光子さん(14年に65歳で死去)との確執も報じられました」(ベテラン芸能記者)
ところが、こうした「波乱の人生経験」は、俳優として立派な糧となったようだ。フジテレビの人気ドラマシリーズ「北の国から」の好演で注目を浴び、山田洋次監督(95)作品「たそがれ清兵衛」(02年)で「第26回日本アカデミー賞」の最優秀主演女優賞など国内の主要映画賞を総なめにした。
「真田広之(65)さんが演じた主人公と恋仲となる相手役を演じました。宮沢さんはすでに20代後半に差しかかっていましたが、その演技は円熟味を帯びており、同年代の女優では飛び抜け過ぎていて、どの映画賞でも敵なしでした」(先の業界関係者)
09年にハワイ在住の日本人実業家と結婚し、同年に第1子を出産。しかし、12年に離婚協議中との報道が。16年にようやく離婚が成立したが、その間、俳優としては黄金期が到来する。
13年5月、天海祐希(59)が舞台「おのれナポレオン」の終演後、軽度の心筋梗塞と診断され入院。宮沢は、突然の代役要請だったものの快諾し、わずか2日間の稽古期間を置いたのち演じ切るという離れ業を成し遂げ、俳優としての存在感をアピールした。14年公開の7年ぶりの主演映画となった「紙の月」では2度目、16年公開の「湯を沸かすほどの熱い愛」では3度目となる「日本アカデミー賞」の最優秀主演女優賞を受賞。またもや国内の映画賞を総なめにしたのだ。
戴冠に期待
「『紙の月』では横領した金をせっせと年下の大学生に貢ぐ銀行員役。『湯を沸かすほどの熱い愛』では、夫が失踪し銭湯を営みながら娘を育てる中、末期がんと診断され残された時間で家庭を建て直す主人公を熱演し、多くの観客の涙を誘いました。主演作2作連続での映画賞総なめとなりました」(同前)
18年には共演経験のある元V6の森田剛(47)と再婚し、21年には森田とともに新事務所「MOSS」を設立。以後、映画を中心に、テレビドラマ、配信ドラマ、舞台など幅広く活動し、今回の「しびれ」の公開を迎えた。
「母親役ということに限れば、『しびれ』は『湯を沸かすほどの熱い愛』とは真逆の母親像ですが、それだけ演技の幅が広いことの証明。若い頃から主演が多かったので、映画賞は主演女優賞ばかりですが、今作は助演部門での獲得もありそうです。実現すれば、改めて名優ぶり、さらには女性俳優では希少な存在であることを世間に知らしめられそう。今作での戴冠に期待したいです」(映画担当記者)




