辺野古沖事故への“不誠実対応”は「捜査中だったので」 玉城デニー氏が“直撃”に答えた「15万票差惨敗」の背景

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辺野古沖転覆事故の対応、玉城氏の弁は……

 その意図を玉城氏はこう説明する。

「有権者が(候補者を)判断するメインストリームは政策論争であるべきです。しかし今回は、一方の候補者を当選させるためライバル候補に対し、誇張や事実無根、あるいは人格攻撃に近いようなものまでがネット上に溢れました。これはSNSの運用面での懸案というだけでなく、日本独自の問題でもある。国も知らぬ存ぜぬを決め込むのではなく、(選挙時のSNS規制など)有権者の選択の自由を確保するべきです」

 もっとも、玉城氏の劣勢を決定付けたのは、デマや中傷などでなく、小型船2隻が辺野古沖で転覆した際に見せた“冷淡”な態度だったとの声は消えない。

 事故により、同志社国際高校(京都府)2年生の武石知華(ともか)さん(17)ら二人が死亡。しかし玉城氏はダンマリを決め込み、発生から1カ月以上もたってからようやく現地へ献花に訪れた。

 当時の対応について、玉城氏本人は、

「まだ“事故の原因は誰にあるのか”という捜査中の段階だったため、なかなか発言できなかった場面があったのは事実です。(それにより)対応に不手際があったように受け取られた面はあったかもしれない」

 そう釈明した上で、

「そもそも沖縄県が直接、今回の事故に関係しているわけではありません。もちろん、人命が失われたという重い事実に対し、ご遺族にお悔やみを申し上げ、関係者の方々にも捜査への徹底協力を要請しました。また県として、600余りの関係団体に文書を発出して、安全管理の問題について積極的に意見交換する姿勢などを示してきました」

なぜ遺族より先に校長と面会?

“できることはやった”と述べる玉城氏に、事故のわずか2日後、遺族よりも早く同校の西田喜久夫校長と面会した理由を尋ねると、

「だからそれも、あくまで学校側が県に立ち寄るというので、“私どもの方で協力できることがあれば仰ってください”とお伝えしただけです。その場で何らかのすり合わせや学校側からの要望を伝えられた事実などはありません」

 最後まで対応の正当性を主張する姿勢を崩さない玉城氏。そのかたくなさのせいで有権者にソッポを向かれたのだとすると、自業自得というほかない。

週刊新潮 2026年9月24日・10月1日号掲載

ワイド特集「人生の短さについて」より

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