別れた男性に店を譲渡、海外打ち上げでスタッフの旅費を負担…「理想の母親像」を体現した名女優「京塚昌子さん」、役柄そのままだった素顔

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温かい人柄と気っ風の良さ

 日本社会における「母親」の理想像には、時代を経ても変わらない部分がある。前向きで心が温かく、世話好きで、情に厚い。それは、時代や性別に関係なく人としてそうありたいと願う姿ともいえる。昭和の時代に活躍した女優・京塚昌子さんは、そうした理想を体現する存在として人気を博した。

 そんな京塚さんが世を去ったのは1994(平成6)年9月23日のこと。仕事の上だけではなく、私生活でも温かい人柄と気っ風の良さで愛された生涯を、「週刊新潮」の長寿連載「墓碑銘」で振り返る。

(以下、「週刊新潮」1994年10月6日号「墓碑銘」を再編集しました)

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身銭切っても人の面倒をみる

 日本の母親像といって多くの人が思い浮かべるのは、京塚昌子さん演じた「肝っ玉かあさん」ではあるまいか。明るく、温かく、お節介で、涙もろい……。

 そんな役柄を幾度も演じてきた京塚さんが、1994(平成6)年9月23日、心不全のため亡くなった。64歳だった。まさに役柄そのままの性格だったという。

「本人も温かいおかあさんそのもの。その上、江戸っ子気質で、気っ風がいい。身銭切っても人の面倒をみる。番組の打ち上げでグアムに行ったとき、お金がなくて来られない若いスタッフにお金を出してあげていた」(テレビプロデューサーの大野木直之氏)

 京塚さんはもともと新派の女優。東京生まれだが、疎開先の栃木県で佐野高女を卒業し、上京して新派の研究生となった。16歳の時である。

「当時はね、スラッとした愛くるしい感じの美人でしたよ。それが、盲腸の手術の後からみるみるうちに太ってしまった」(芸能記者)

人気の秘密は役柄と人柄のマッチ

 師匠だった花柳章太郎氏は「17貫(約64キロ)を過ぎたら、役者を諦めなさい」といったが、すぐに70キロを超えてしまった。このため脇役が長く続いた。

 ようやく主役を演じたのが1955(昭和30)年の「月夜鴉」。同年に「離れ猪」「太夫(こったい)さん」で芸術祭奨励賞を受賞した。

 だが、彼女の持ち味が最大限に発揮されたのは、なんといってもテレビドラマだ。

「テレビだと、キレイキレイの人よりも、かえってママのようなタイプの人のほうが受け入れやすいんです。多感な人で、泣くところは、ほんとに泣いちゃう人でした。やっぱり割烹着姿のママが一番印象に残っている」(「肝っ玉かあさん」の演出・川俣公明氏)

「肝っ玉かあさん」をはじめ、「おふくろさん」「ありがとう」などのテレビドラマは高視聴率を得て、昭和40年代のホームドラマ全盛期を作り出した。当時はナイター中継すら凌ぐ人気だったという。

 そして京塚さんの役柄が「日本の母」のイメージを形作っていった。

「気が強く、情にもろいとう役柄が、彼女の人柄とマッチした」(俳優の山口崇氏)

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