別れた男性に店を譲渡、海外打ち上げでスタッフの旅費を負担…「理想の母親像」を体現した名女優「京塚昌子さん」、役柄そのままだった素顔
ゲイバー勤務の男性と同棲も
もっともテレビの中では「かあさん」でも、私生活で「母」になることはなかった。生涯独身で、子供もいない。
「男運はなかったわね。同棲していたことはあった。ゲイバーで三味線弾いてた人でね。“いっしょになるの”って紹介されて“いいわね”と答えたけど、結局、その人は男性を好きになって別れてしまった」(女優の清川虹子さん)
彼はゲイバー「やなぎ」の人気者だった“お駒ちゃん”。彼のために天麩羅屋を作ってその帳場を任せていた京塚さんは、別れるときに店ごと彼にあげてしまったという。
「その後、曽我廼家五郎(そがのやごろう、喜劇役者)の弟子だった桃蝶という女形役者と住んでいたこともあります。その人は当時すでに70近く。世話好きが高じて面倒を見ていたんでしょう。京塚さんはそういう人たちが好き、という人もいますが、ああいう気取らない人たちのそばが楽だったんでしょう」(芸能記者)
酒好きだったこともあり、ゲイバーではよく飲んだ。
「私にお酒を教えてくれ、ゲイバーに連れていってくれたのもかあさんでした。かあさんはほんとに気持ちのいいお酒の飲み方をする。いつも明るく、人を飽きさせない。そしてよく飲み、よく食べた」(女優の沢田雅美さん)
脳梗塞で倒れリハビリ生活に
だが、そんな食生活がよくなかったのか、糖尿病が持病となった。そこへ過労が重なり、1983(昭和58)年に公演先の松山市で脳梗塞のため倒れた。一時は、テレビや舞台にも出演するほど回復したが、言語障害が残り、手足の動きも万全ではなかった。
「あの頃からずっと見舞いに来てほしくない、といっていた。芸人として自分の惨めな姿は見せたくなかったのだと思う」(前出・大野木直之氏)
その後、伊豆、山梨、鎌倉など各地の病院を転々としてリハビリを続けてきた。だが1992(平成4)年、2度目の脳梗塞で危篤状態に。一命は取り留めたものの、1年ほどは寝たきりの状態だった。
最期は苦しみもなく静かに逝った。
「きれいで、まるで眠っているかのような死に顔でした」(山口崇氏)






