大瀧詠一が注目したサエキけんぞう、“未来”が見えて「全部イヤに」なった窪田晴男 「パール兄弟」結成前夜

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近田春夫とビブラトーンズを結成した窪田

 一方、窪田は1979年にバンド「人種熱」を結成していた。翌年には、近田春夫のバンド「近田春夫&ビブラトーンズ」の活動も並行して始めた。

「近田さんって変わった方で、山のように送られてくるデモテープを聴くのが趣味なんです。僕らのデモテープも聴いてくれて、ちょっと気に留めてくれていたようで」(窪田)

 近田は1981年3月に公開されたアニメ映画「悪魔と姫ぎみ」のサウンドトラックをプロデュースすることになり、人種熱も制作に参加することになった。

「僕らの練習を近田さんが見てくれた時に『お前ら絶対に売れないと思うけど、俺は面白いと思うから、何か一緒に仕事したいね』と言ってくれて。社交辞令と思っていたら『悪魔と姫ぎみ』の仕事を振ってくれたんです。そのレコーディングが盛り上がり、近田さんがソロアルバムを出す際も『バンドでやりたい』という理由で『近田春夫とビブラトーンズ』になったわけです」(同)

 こうして1981年11月にアルバム「ミッドナイト・ピアニスト」とシングル「金曜日の天使」でビブラトーンズは正式にデビューを果たす。窪田は22歳になっていた。

交わり始めたサエキと窪田の人生

 サエキは窪田の1歳上。ハルメンズとビブラトーンズのデビューも約1年違いだ。YMOを頂点とするテクノブームの中で、それに続く鈴木慶一と近田春夫の下にいたのがサエキと窪田だったという構図でもある。二人の人生は、互いのライブを観に行くなどして交わり始めた。

 1982年11月、窪田はビブラトーンズのライブの中で、「仕事でやってるビブラトーンズ」とMCで発言したことでメンバーの怒りを買い、そのままバンドを自主脱退する。そのライブをサエキも観ていた。

 その翌月に行われたハルメンズ凍結前のラストライブには、窪田が訪れていた。ビブラトーンズを脱退した窪田は、平山三紀や山下久美子のバックバンドで活動し始め、さらに、松任谷由実のツアーのバックにギターとして参加することになった。

 そのツアーもサエキが観に来た。打ち上げに誘われ、居合わせた窪田にこんな話をした。

「ギターとベースとドラムぐらいの軽装備で、沢田研二さんみたいな曲ができないかな」

 二人がついに合体することに。パール兄弟誕生前夜であった。

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 ついにそのバンド人生が交わることになったサエキと窪田。第2回【デビュー40周年「パール兄弟」が変わり続けられた理由 サエキけんぞう「異物感のない人はつまらない」】では、結成後の「パール兄弟」が歩んだ道のりや最新作などについて語っている。

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