「何をやっても抑えられなかった」王者・西武をのみ込んだ“異様な一日” 優勝争いをひっくり返した怪物
プロ野球のペナントレースもいよいよ最終盤。優勝争いでは、最後の最後まで何が起こるかわからない。過去を振り返れば、絶体絶命の状況から劇的な一戦をきっかけに逆転Vをつかんだチームがある。その裏には、今なお語り継がれる“アンビリーバブルな試合”があった。【久保田龍雄/ライター】
【写真】首位ソフトバンクを追いかける西武ライオンズの選手たち
西武有利の論調
そんな伝説の一戦を4回にわたって紹介する。第1回は1989年10月12日の西武対近鉄。大逆転劇の主役、ラルフ・ブライアント自身が「アンビリーバブル!」と叫んだ、あのダブルヘッダーである。
前年、リーグ優勝まで「あと1勝」に迫りながら、“伝説の10・19”ロッテ戦のダブルヘッダー第2試合を引き分け、無念のV逸となった近鉄。翌89年は、その悔しさを胸に2年越しの優勝を目指した。
故障者が相次いだシーズン前半は、6月終了時点で首位・オリックスに8.5ゲーム差をつけられた。それでも7月に14勝6敗1分と巻き返し、8月には2度の4連勝。ついに首位へ浮上する。
ところが、西武も猛追。三つ巴の激しい争いとなり、近鉄は9月16日に首位から陥落した。10月5日時点では首位・オリックスに3ゲーム差の3位。一度は自力Vも消滅した。
その10月5日、チームをこよなく愛した佐伯勇オーナーが肝不全で他界する。ナインは大きなショックを受けながら、オーナーの仏前に優勝を報告しようと心をひとつにした。残りは9試合。最後までベストを尽くすことを誓った。
ここから近鉄は3勝1敗と巻き返す。首位・西武との3連戦初戦となった10月10日も3対2で勝利し、ついに1ゲーム差まで迫った。
翌11日は雨天順延。そして12日、伝説のダブルヘッダーを迎える。
当時のスポーツ紙は西武有利の論調だった。この日、西武が近鉄に1勝1分でも、同じ日にロッテとダブルヘッダーを行うオリックスが1勝1敗なら、西武の5年連続Vが決定する。一方の近鉄は、西武に連勝すれば逆マジック「2」が点灯する状況。それでも扱いは、まるで“蚊帳の外”だった。
一振りで消えた4点差
運命の第1試合。先手を取ったのは西武である。
1回、石毛宏典の四球を足場に、秋山幸二の右越え三塁打で先制。2回には辻発彦の左越え2ランが飛び出し、近鉄先発・高柳出己を早々とKOした。さらに2死二塁から、吉竹春樹が代わった佐藤秀明から右前タイムリー。4対0と突き放す。
近鉄は4回、3番のブライアントが郭泰源から右翼席上段に突き刺さる特大ソロを放った。この時点では、まだ焼け石に水の感があった。
西武は5回にもデストラーデの右前タイムリーで1点を追加。再び4点差となり、「これで西武の勝ち」と思ったファンも多かったはずだ。
ところが、6回に奇跡が起きる。
先頭の真喜志康永が四球、大石大二郎が左前安打、新井宏昌も遊撃内野安打で続き、無死満塁。打席にはブライアントが入った。
西武・森祇晶監督は「(結果的に)四球でもいい。初球は必ずボールで入れ」と郭に指示した。ところが、初球のスライダーは魅入られたように真ん中へ入っていく。
「前のホームランが気分をリラックスさせてくれた」
乗りに乗っていたブライアントは、この失投を逃さなかった。
「少し芯を外れ、詰まり気味だった」という打球は、彼にしては珍しく長い滞空時間を経て右中間席へ。起死回生の同点満塁本塁打である。
4点差は一振りで消えた。球場の空気も、一気に変わった。
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