高市首相に嫌われた「財務省エース」が事務次官に就任できた裏側 「官邸は人事で財務省を揺さぶっていたが…」
留年の理由
一松氏の“異例の人事”のおかげで次官の座を射止める格好となった宇波氏は1964年、東京都に生まれた。航空会社に勤務する父親の元、幼少期を米国で過ごし英語が堪能だという。名門、都立西高校出身である。
西高の同級生が言う。
「彼は高校時代、硬式テニス部でした。穏やかで地味な目立たない生徒という印象。成績も飛び抜けて良かったわけではなかった」
財務次官は東京大学文科一類(文I)を経て、法学部を卒業したエリートが就くのが王道である。しかし、宇波氏の経歴は一風変わっていて1浪後、東大理IIに進学。理IIは3年生に上がる際の「進振り」で農学部や薬学部に進むのが通常のルートなのだが、宇波氏は2年生で1年留年後、経済学部への進学を選んだ。
東大の同級生で大蔵省の同期でもある、前衆議院議員の大串博志氏が語る。
「宇波君とは東大のテニスサークルで出会いました。私がキャプテン、彼もレギュラーで熱心に練習に打ち込んでいましたよ。文転は教養課程の成績がかなり良くなきゃいけない。彼も苦労して、それで2年生を1回余計にやったわけです」
宇波氏自身は過去に文転した理由について、
〈同期の親友が公務員を目指していて、彼と一緒に大蔵省の先輩等に話を聞く中で、システムを変革することによって、ダイナミックに社会に貢献できる仕事に興味を持ちました〉(財務省「平成元年入省職員対談」より)
と述べているがこの「親友」こそ、大串氏だったようだ。
「彼女に会いたくなって数日早く帰国」
氏が打ち明ける。
「試験の前は大学の図書館で毎日一緒に勉強していましたね。お互い同じ西武池袋線で一緒に帰ったりもしました。私が一番仲が良いのは宇波君だと思っているし、宇波君も私だと思っているのでは。大学生活の後半は、二人とも就職先を国家公務員に絞ってお互いの夢を語り合いながら勉強しました。官庁訪問も一緒に回っています」
こんな話も披露する。
「当時、二人とも城山三郎の『男子の本懐』を読みまして。テロリストに撃たれた浜口首相と井上蔵相の話なのですが、触発されて国家論を語り合ったものです。宇波君と二人で青山墓地にある浜口雄幸のお墓にもお参りしてね。その時、墓石に頭をガンガンぶつけて、どちらが言ったのか、“痛みとともにこの思いを忘れないようにしよう”と……。アホな話ですが、熱く燃えた青春でした」(同)
二人は欧州への卒業旅行にも一緒に行ったという。
「先輩の下宿先に転がり込んでフランスを回り、イギリスなどほかの国にも足を延ばしました。ただ、二人とも彼女に会いたくなっちゃってね。3週間ほどの卒業旅行でしたが、数日、早く切り上げた思い出があります。ちなみに、どちらの彼女も慶應義塾大学の同じテニスサークル。宇波君の彼女が私の彼女の一つ先輩でした」(同)
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