「経営トップ自らが現場の裏方まで」…「モードの帝王」イヴ・サン=ローラン氏を支えた長年のパートナー、ピエール・ベルジェ氏の献身
独立して初めて作品を発表した日
ベルジェ氏は1930年、フランスのオレロン島生まれ。作家やジャーナリストを志しパリに出た。持ち前の行動力と熱意で主宰した刊行物にはアルベール・カミュやジャン・コクトーらも寄稿してくれた。画家のベルナール・ビュッフェのマネジメントを手がけ、人気を押し上げることで頭角を現す。
サン=ローラン氏とは1958年、パリの社交界で出会う。時にベルジェ氏27歳、サン=ローラン氏21歳。ファッションに興味は薄かったが、時代を切り開くような才能に衝撃を受ける。ほどなく共に暮らし始めた。同性愛の恋人関係を隠さなかった。
急死したクリスチャン・ディオール氏の後を託され、サン=ローラン氏は前途洋々のはずが徴兵された。軍隊生活ですぐに精神が不安定になり、ディオール社から解雇。ここでベルジェ氏が動いた。人脈を活かし資金を集め、サン=ローラン氏のブランド会社を創設したのだ。
「ふたりの思い出を聞くと、いっぱいありすぎるけれどもと前置きして、“1962年1月29日”と節をつけ、歌うように話してくれました。独立して初めて作品を発表した日でした」(堀江氏)
異なる才能と人柄
しばしば来日。京都が好きだった。1970年代のパリでは堤清二氏の妹である堤邦子氏、デヴィ・スカルノ氏、岸惠子氏らと縁が深かった。
「美を創り出すのはサン=ローランさんだと尊敬していましたね。ふたりの異なる才能や人柄が組み合わさり、強さを発揮していました」(デヴィ・スカルノ氏)
化粧品や香水、ライセンス商品も手がけて利益を上げ、資金の心配などさせない。
「不動の地位を得た後も鬱に長く苦しんだサン=ローランさんを、保護者のように見守っていました」(堀江氏)
サン=ローラン氏は2002年に惜しまれながら引退し、2008年に脳腫瘍のため71歳で死去。先立たれたベルジェ氏は、ふたりで集めた美術品や家具をオークションにかけて手放した。落札総額は日本円に換算すると420億円を超えていた。得たお金はエイズ対策の基金などに広く寄付している。
功績を後世に伝える重責
政治にも関心が深く左派を支持。2010年には、経営危機に陥った大手紙のル・モンドを、他の実業家と共同で買収、救済した。
ファッションが作品の良さで評価されるのではなく、大きな広告を出す見返りに雑誌の表紙や記事にするような風潮に失望していた。ふたりの関係は映画化され、成功と重圧が心に響いた。2017年9月8日、フランス南部の自宅で、86歳で逝去。
筋萎縮症で闘病していたが、6月に車椅子姿で記者会見に臨んだ。サン=ローラン氏の作品やデザインスケッチを、ふたりのゆかりの地であるパリとマラケシュ(モロッコ)の2カ所に設ける美術館で10月から一般公開すると発表したのだ。
開館目前に旅立ったが、功績を後世に伝える重責を果たした。
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