「悠仁さま」20歳 この1年を振り返る 「あまりにお寂しいことです」…成年の祝宴に「愛子さま」「小室弁護士夫妻」が欠席された“複雑な事情”
天皇家と皇嗣家がギクシャクしているかのよう
こうした“波紋”が生じてしまった背景には、過去の「両家バッティング」が少なからず影響しているとの指摘もある。
式から遡る3年前の2022年3月17日、愛子さまの成年会見が行われた。当日の愛子さまは堂々たるお振る舞いで初の単独会見をこなされ、そのお姿はメディアで称賛された。ところが、この日は悠仁さまが当時通われていたお茶の水女子大学附属中の卒業式でもあった。こちらのニュースは、愛子さまの話題でかき消されてしまう格好となったのだ。
「紀子さまは大いに落胆され、側近らに対して“どうしてこのようなことになったのでしょうか”とお嘆きになっていました。そして1週間後には、宮内庁の西村泰彦長官(当時)が定例会見で“私のミス”と調整不足を認め、陳謝するという異例の結末を迎えたのです」(「週刊新潮」2025年9月11日号 皇室ジャーナリストの証言)
続けて、同じ年の10月1日、両陛下が国体開会式ご出席のため栃木県に行幸啓された。当時はコロナ禍で皇室のご活動が中断されていた最中。皇室が本格的に始動するという記念すべき日だったのだが、まさにその日、学校の秋休みを利用した悠仁さまが、伊勢神宮を参拝なさった。宮内庁は当時、あくまで“私的ご旅行”であると弁明したのだが、陛下の重要な行事の日と重なったことで、またしても物議を醸してしまったのである。
「これらはいずれも侍従職と皇嗣職との連携不足が引き起こしたもので、つまりは役所の不手際でしかなかった。それでも外形的には、まるで天皇家と皇嗣家との間がギクシャクしているかのような印象を世間に与えてしまいました」(同)
「時期が遅いのではないか」
成年式は、それに続く「バッティング」である。前述の「週刊新潮」では、秋篠宮家の内情を知る関係者がこのように明かしている。
「今回のケースはこれまでとは異なり、宮内庁の手抜かりとまでは言い切れず、幹部らにも“問題だ”という認識はありません。ただし、そうはいっても“どうにか調整できなかったのか”との違和感は禁じ得ません。毎年のお誕生日に催される夕食会ではなく、一生に一度の成年式の祝宴に、いとこであられる内親王のお姿がないというのは、あまりにお寂しいことです」
成年式の日程が正式に公表されたのは2025年2月末。既に悠仁さまが成年を迎えて半年近くが過ぎていた。そのため、日程について西村長官が会見で明かした際には、記者から「時期が遅いのではないか」「なぜ18歳のうちに行わないのか」といった質問も飛んでいた。
「表向きの理由は、夏場まで陛下のご日程が詰まっているといったものでしたが、最終的には主催者である秋篠宮さまが、悠仁さまのお誕生日と成年式について“それぞれ祝うよりは一度にまとめた方が出席者の負担も減るのではないか”とのお考えを示されたためだと聞いています」(同)
愛子さまが臨席された新潟県での防災推進国民大会の日程や開催地は、1年以上前に内々に示されてきたという。とはいえ、先にご公務の予定をお決めになった愛子さまのご出発を、6日の夕刻ではなく7日早朝に切り替えるなどのアレンジも、また一案ではあっただろう。その点を「週刊新潮」が先の号で宮内庁に尋ねたところ、以下の回答が来た。
「悠仁親王殿下の御成年をお祝いする御内宴は、お身内の御私的な行事であることに鑑み、内親王殿下には、新潟県での公的な行事にお成りいただくこととしたものです」(報道室)
前述のように、悠仁さまのお振る舞いが高く評価されただけに、返す返すも残念なご欠席であったのだ。
皇族は成年となると、晩さん会や一般参賀などに参加するようになる。この後の悠仁さまも公務や宮中行事へのご参加が増えたのだが、そこでは、秋篠宮家を巡る“現実”にも直面された。Instagramや一般参賀で露わになった天皇家との「格差」とは。そして悠仁さまはそれにどのように立ち向かわれたのか。【後編】で詳述する。
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