AIが答えを出す時代に、なぜ「国語」と「算数」が必要なのか――「佐藤優」が問い直す“教育の本丸”

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 生成AIを授業に取り入れれば、子どもたちは「主体的」になれるのか。端末を一人一台配れば、格差はなくなるのか。元外務省主任分析官の佐藤優氏は「順番が逆だ」と言う。AIを使いこなす前に身につけるべき力がある。そしてその力は、実はきわめて古典的な場所に宿っていると指摘する――。

「情報を読む力」の土台は、どこにあるか

 生成AIの進化とともに、日本の教育現場にもAI教育の波が押し寄せています。文部科学省が掲げる「GIGAスクール構想」のもと、一人一台の端末が整備され、授業へのAI活用も急速に広がりつつあります。

 私はこの動きを、全面的に否定したいわけではない。デジタル技術をうまく使えば、地域や家庭環境によって生じる情報格差を埋めることはできるし、生徒や学生の主体性を強化することも十分に可能です。その意味で、国がインフラを整備することには大きな意味がある。

 ただ、端末を配ることと、教育の質が上がることは、まったく別問題です。

 フェイクニュースやデマが飛び交う時代に、情報リテラシーを強化しようという議論が高まっています。けれども、その手段として「国語や数学といった基礎科目を削って情報教育を増やす」という方向に進んでいるとしたら、それは本末転倒と言わざるを得ません。

 情報機器を操作する技術よりも先に必要なのは、文章を正確に読む力です。「何が事実で、何が意見か」「この結論は、どの前提から導かれているか」「論理の飛躍はないか」――こうした判断を下す基礎になるのが、国語であり、数学なのです。

 国語が論理を学ぶ科目であることは多くの人が感覚的に理解しているかもしれませんが、数学も同じです。数学は「非言語的論理」であり、国語や英語は「言語的論理」だと数学者の芳沢光雄先生は言います。私自身、1970年代の高校で、集合・論理・写像・公理系といった、当時の「現代数学」的な教育を受けました。対象を構造として捉え、物事の関係を整理するこの訓練は、外務省で情報分析に従事した当時も、仕事の根幹を支えていました。

 生成AIの時代こそ、こうした能力がむしろ重要になる。ところが今の文科省は、その数学的な基礎を十分に学ばせないまま、情報教育だけを増やそうとしているように見えます。基礎のない情報教育は、いわば砂の上に建てた家です。

AIの答えを「判断できる人間」を育てるために

 たとえば高校の「情報I」「情報II」の教科書を見ると、特に情報IIはかなり難しい内容を扱っているにもかかわらず、その理解に必要な数学的操作の学習が省かれた結果、社会科の教科書のような情報の羅列になっています。地学の教科書も同様で、本来は高度な数学を使う科目でありながら、数式はほとんど登場しない。

 AIを作る礎にある論理や数学を理解しないまま、AIの知識だけを詰め込んでも、それは使いこなすための基盤を持たない「知識の装飾」にすぎません。

 そして、もっと根本的なことを言えば、生成AIが出した答えを最終的に判断するのは、常に人間です。その判断力の源泉は、テクノロジーへの習熟ではなく、読み、考え、論理を組み立てる力のなかにあります。

 生成AIは優秀なツールです。私自身、自分の考えをまとめる際に活用しています。ただし、使い方には一つの原則があります。それは「自分の情報のプール」を先につくることです。私は生成AIを使う際、自分の講義ノートを読み込ませ、その範囲の中だけで回答を作るよう指示しています。Wikipediaや新聞記事には触れさせません。ベタな答えではなく、自分の思考を検証・深化させる道具として使うためです。

怖いのは、AIが間違うことより「自分がAI化すること」

 私がいちばん懸念しているのは、生成AIが誤った情報を出すことではありません。それよりも深刻なことが、静かに進行しつつあります。それは、私たちの思考そのものが「生成AI化」していく、ということです。

 毎日のようにAIに質問し、その回答を読み続けるうちに、気づかないまま、AIの思考の枠内で物事を考えるようになってしまう。それは、特定の味のものを食べ続けるうちに、それが味覚の「基準」になってしまうことに似ています。

 また、生成AIといっても一括りにはできません。英語圏のAIと、たとえばロシアのAIとでは、同じ問いへの答えがまったく異なる場合がある。情報空間の成り立ちが違えば、AIの価値観も違う。だからこそ、AIの答えのファクトチェックだけでなく、それを判断するための基準を、自分の内側に持たなくてはならなりません。

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 それでは、その「内側の基準」は、どうすれば育てられるのか。AIを「思考を代行する道具」ではなく「思考を強化する道具」にするための、具体的な教育実践とは何か。

 合理性だけでは割り切れない「人間」を育てるために、文学が果たす役割とは――。

 新潮QUEで配信中の記事【「人間」を学ぶための国語と数学、そして文学を――AI教育が加速する時代に「文科省」が置き去りにする基礎科目】では、佐藤優氏さんがこうした問いの一つひとつに答え、AI時代に見つめなおすべき教育の本質や、文科省が見落としている視点について、より詳しく伝えています。

デイリー新潮編集部

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