テレビの生放送で「検察官をぶっ殺せ――!」 超ド級の暴言を「在野の天才」が発した深い理由
『田中を起訴した検察官が憎―いッ!』
コンプライアンスが重視され、ちょっとしたことでも炎上が起きる状況になってから、テレビ番組でハプニングが起きることは少なくなった。選挙特番のような長時間の生放送番組では、それなりにハプニング的なことも無いわけではない。直近で言えば、爆笑問題の太田光と高市早苗首相のやり取りが物議を醸した。
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しかし、かつては放送事故に近い発言が流れたこともある。生番組の出演者からこともあろうに検察官を「殺せ」という発言が繰り返し発せられたのだ。
それは1983年1月26日、「こんにちは2時」(テレビ朝日)というワイドショー番組での出来事だった。スタジオにはテレビのコメンテーターとして活躍していた評論家の小沢遼子氏に加えて、博覧強記で知られる異能の学者、小室直樹氏がいた。その場でテーマとして取り上げたのが、田中角栄元首相が被告となったロッキード事件の裁判。そこで「事件」は起きる。村上篤直著『評伝 小室直樹(下):現実はやがて私に追いつくであろう』(ミネルヴァ書房)は、その時の様子を次のように描写している。
「生出演した小室は、ロッキード事件において田中角栄は無罪であると声高に主張。前日の大量飲酒の影響もあったのか、その主張は激高の域に達していた。
『田中を起訴した検察官が憎ーいッ!』
『国賊だッ!』
『俺が護民官だったら、検察官を殺してやるッ!』
小室は両手を振り上げて絶叫していた。
“殺す”と発声したことで、小室の気持ちはますます高まった。
『あの四人の検事を殺せッ! まとめて殺せッ! ぶっ殺せェーーーーッ!』
『田中に五兆円をやって無罪にしろッ!!』
そう絶叫した。(中略)」
検察官を「殺せ」という発言が電波に乗ること自体、異常事態だが、当時の状況でいえばそもそもロッキード事件に関して田中角栄擁護論をぶつこともまた非常識だった。
その意味で小室はテレビ局にとって“貴重”な存在だったのは事実だろう。翌日、彼はまたしても別番組の生放送に出演し、田中を擁護する。政治家は賄賂を受け取っても構わず、それで国民が豊かになればよいと主張するが、当然のごとく苦情が殺到した。
放送事故を起こした人間を、翌日また生放送に出演させるとは、当時のテレビ局は実に鷹揚だった。現在、田中の政治家としての功罪に関しては「功」の面も語られるようになっている。しかし当時、田中は世紀の大悪人という扱いで、擁護はもってのほか、無罪などと公言する人間はほとんどいなかった。
実は「正論」だった小室の主張
小室は決して「逆張り」をしてウケを狙っていたわけではない。事件の推移、裁判の進め方に強い疑問を抱いていたのだ。彼は何が問題だと考えたのか。以下、新潮QUE連載の物江潤氏の「禁じられた教養 第4回」(「田中角栄を有罪とした検事は「ぶっ殺せ!」、ソ連崩壊を予言 「暴論」とは一線を画した小室直樹の科学的な極論」)から引用してみよう。
「ロッキード事件では、『嘱託尋問』という異例の手法が使われた。ロッキード社副社長のアーチボルド・コーチャンらが来日に応じなかったため、米国の裁判所へ嘱託し証人尋問が行われたのだ。
この尋問について、日本の検察はコーチャンらに不起訴宣明をしている。つまり、証言した内容を理由に起訴をしないという保証書まで与え発言を引き出し、それらはロッキード事件において証拠として採用されたのである。
しかも、この保証には最高裁が関与していた。米国の裁判官が、調書を日本へ渡す条件として日本の最高裁による不起訴宣明の保証を求め、それに最高裁は応じたのだ
小室が激高した理由もまた、ここにある。小室の目には、これは憲法の精神を踏みにじる証拠集めと映った。
日本国憲法37条2項は、刑事被告人に証人への反対尋問(審問)の機会を保障している。だが、嘱託尋問でそれが果たせるはずがない。アメリカで証言するコーチャンに対し、日本にいる田中角栄がどうして反論できるだろうか」
この説明を読む限り、小室の指摘はもっともだと思われるのではないだろうか。日本人を裁くにあたり、アメリカ人の証言者に免責特権を与え、しかも反対尋問を受けなくてもいいというのだ。これでは言いっぱなしではないか――しかし前述の通り、当時の日本は「田中イコール巨悪」という空気が支配していた。それゆえ、小室のような論者は完全な異端の存在だったのだ。
しかしその後、小室の主張の正しさが証明される。1995年に最高裁大法廷はコーチャンらの嘱託尋問調書の証拠能力を否定したのだ。現在ではロッキード裁判に数多の問題があったという見方はそれなりの支持を得るに至っている。「殺せ」といった物騒な表現はさておいても、小室に先見性があったのは間違いない。
ソ連崩壊を予言していた
物江氏は前出の論考で、小室の卓越した能力の背景を読み解いている。そのうちの一つが「イデオロギーに左右されない審美眼」を持っていたことにある、という。物江氏の文章を再び引こう。
「小室は強烈な天皇主義者であり、マルクス主義者とは似ても似つかない思想の持主だった。だが、小室はそのマルクスを極めて高く評価する。なぜならば、マルクスの仕事は社会科学として、非常に優れていると考えたためだ」(同)
この“審美眼”から生まれた予言が「ソ連崩壊」である。1980年に上梓した著書『ソビエト帝国の崩壊』で小室は、構造的にソ連崩壊は運命づけられている旨を述べている。当時、キワモノ扱いされた言説だが、10年後に見事に的中したのはご存じの通りである。
小室は生涯を通じて、アカデミズムの世界では正当な評価を得られず、「在野の天才」であり続けた。2010年没。死後、著書や発言への評価は高まっている。
空気を読まず、イデオロギーに左右されず、反発を恐れず、考え抜いた言葉を発する。こういう人物が昨今の国際情勢や国内政治を見て何を言ったか。知りたいと思う方も多いのではないだろうか。
物江氏の論考(田中角栄を有罪とした検事は「ぶっ殺せ!」、ソ連崩壊を予言 「暴論」とは一線を画した小室直樹の科学的な極論)は教養・情報サブスク「新潮QUE」で公開中である。


