“巨額借金と難病”の夫に尽くして…離婚会見が「一番輝いている」と称された淡路恵子 晩年の「ご意見番」をつくった激動人生【昭和女優ものがたり】

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結婚と出産、そして離婚

 19歳の時、目黒に家を建てるが、そこでフィリピン人歌手のビンボー・ダナオと夫婦となる。籍は入れない事実婚で、1961年には長男が産まれた。その時の喜びを淡路はこう書いている。「私も母親になることになりました。赤ちゃんができる!(略)結婚してよかったと改めて思い、胸が詰まって来ました」(「文藝春秋」1960年10月号)。

 しかし1964年に次男が生まれるとその翌年、当時3000万円という手切れ金を払って別れることになった。原因はビンボーの激しい嫉妬だったという(「週刊文春」1999年9月9日号)。

 1966年、共演がきっかけで中村錦之助(1972年から萬屋錦之介)と結婚。錦之助は前年に女優の有馬稲子と離婚していた。そして淡路は結婚と同時に芸能界を引退してしまう。「駅前シリーズ」「社長シリーズ」の芸者や浮気相手役でコメディエンヌぶりを発揮していた時で、まだ33歳の売れっ子女優だったのに。その理由は「錦之助は日本映画史に残る俳優でさらに素晴らしい俳優になる。そのために自分は裏で支えたい」というものだった(淡路恵子『凛としてひとり 弱かった自分が強く慣れた瞬間』実業之日本社)。

 結婚翌年には三男、1970年には四男が生まれ、ビンボーとの子供と合わせて4人の母となる。やがて一家は藤沢に転居するが、淡路は家庭を守ることに専念し、錦之助も子ども会いたさに早く帰宅する子煩悩な父親だった。淡路は「この時が一番幸せだった」と語っている(「週刊文春」1999年9月9日号)。

離婚、そして女優復帰へ

 幸福な日々が暗転したのは1982年だった。錦之助経営の中村プロが12億7000万円の負債を抱えて倒産してしまう。家が差し押さえられた日、三男が自分のおもちゃを「お母ちゃま、これも取られちゃうのかな」と言ったことが忘れられないという(『凛としてひとり』)。

 悪いことは続くもので、3カ月後に錦之助は重症筋無力症という難病に倒れる。何度か生死をさまようこともあり、淡路は病室に寝泊まりして看病をした。そうした献身的な働きが功を奏したのか、1984年に錦之助は快復。復帰作の「時代劇スペシャル 子連れ狼」(フジテレビ系)では、当たり役・拝一刀を演じた。淡路はテレビを観て「あんなに元気になって」と涙が止まらなかったという(『死ぬ前に言っとこ』)。

 しかしそれから3年後、錦之助は突如家を出る。宝塚出身の女優・甲にしきと暮らすためだったが、4人の子供と莫大な借金を置いていった。1987年2月に離婚。淡路は生活のためにクラブ勤めを始めた。かつて多くのマダム役を演じたが本物となったのだ。

 そんな時期に20年ぶりの女優復帰が叶う。山田洋次監督から「男はつらいよ 知床慕情」(1987年)への出演の声がかかったのだ。山田は淡路の離婚会見を見て「現役の女優より、いま一番輝いている」と言ったらしい。相手役は「野良犬」で共演した時に可愛がってくれた三船敏郎で、寅さん(渥美清)が2人の縁結び役になるという内容だ。淡路は54歳になっていた。

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