日本ハムが世界初の初回先頭4連発 過去には延長10回に5者連続弾…球史に残る“ありえない一幕”

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球場の花火師「こんなに忙しかったのは初めて」

 NPB史上初の4打者連続本塁打が記録されたのは、1950年9月28日の大阪(現・阪神)対大洋である。

 4点を追う大洋は3回2死一塁、大沢清が大阪の先発・野崎泰一の初球を左越え2ランとして反撃の狼煙を上げる。次打者の4番・藤井勇もリリーフ・駒田桂二の初球を左翼席へ運び、平山菊二も初球を左越えソロ。3打者連続初球打ちの一発攻勢で、5対5の同点に追いついた。

 そして、6番・門前真佐人もカウント0-1から駒田の2球目を右翼席に叩き込み、4打者連続本塁打で一気に逆転。この間、わずか5球の出来事だった。

 ノーガードの打ち合いとなった試合は、大洋が7対7の7回に藤井の3ランなどで勝ち越し、14対7で勝利した。

 史上初の4打者連続弾を献上した阪神も、26年後に雪辱を果たす。

 1976年9月19日の広島戦は、5回までに両軍合わせて6本塁打が飛び出すアーチ合戦となった。

 7対4とリードした阪神は6回2死二塁、1番・中村勝広が右越え2ランを放つと、2番・掛布雅之も左翼ラッキーゾーンに20号ソロ。さらに3番・ラインバックも右越えソロで続いた。

 そして、4番・田淵幸一もファウルで粘り、フルカウントから永本裕章の10球目、シュートをうまく引きつけ、右中間最深部にこの日2発目となる34号を叩き込んだ。

 次打者・ブリーデンがこの日3発目を放てば、前出の東映の日本記録に並ぶところだったが、永本が勝負する気をなくし、四球で歩かせたため、記録は「4」で止まった。

 田淵は西武時代の1983年6月28日のロッテ戦でも、4打者連続弾の一人に名を連ねている。

 西武は0対0の3回1死三塁、2番・立花義家が仁科時成から右越えに先制2ランを放つと、3番・スティーブも右越えソロで続いた。さらに4番・田淵も、西武球場開設5年目にして初のバックスクリーン弾。5番・大田卓司も「次のバッターはたまらないね」とプレッシャーを感じながら、右越えに4打者連続弾を叩き込んだ。

 この間、わずか8球。右翼後方で本塁打のたびに祝福の花火を打ち上げていた2人の花火師も、「こんなに忙しかったのは初めて」と火薬の詰め替え作業に大わらわだった。

球場で見たファンは間違いなく歴史の証人

 それから3年後の1986年、今度はヤクルトが4打者連続本塁打を記録した。

 6月10日の大洋戦、ヤクルトは1回1死一塁から3番・若松勉の右越え先制2ランを皮切りに、レオンが左中間、ブロハードがバックスクリーン、広沢克己が右中間へと、大洋の先発・木田勇に4打者連続弾を浴びせ、早々とKOした。

 球威不足で制球に苦しみ、ストライクを取りにいくところを狙い打たれた木田は「何も言うことはない」とノーコメントを貫いたが、1989年6月4日の広島戦でも、初回先頭から3打者連続本塁打を浴びることになる。

 ホームランは野球の華といわれる。だが、4打者以上の連続本塁打となると、その“華”が一瞬にして咲き乱れる、めったにない光景になる。

 90年を超えるプロ野球の歴史の中でも、4打者以上の連続本塁打は今回の日本ハムを含めてわずか6例しかない。しかも日本ハムが演じたのは、初回先頭から4人連続でスタンドに運ぶという、これまで誰も見たことのない形の連発劇だった。

 1971年の東映5連発が半世紀以上経った今も語り継がれているように、今回の日本ハムの4連発もまた、長く球史に残るはずだ。球場でその瞬間を目撃したファンは、間違いなく歴史の証人になった。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新著作は『死闘! 激突! 東都大学野球』(ビジネス社)

デイリー新潮編集部

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