遺体を引き取りに行って気づいた「この団地、どこかおかしい」 養老孟司さんが「現代人の勘違い」を指摘

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 遺体を引き取りに団地に出向いて気づいた。「この団地、どこかがおかしい」――こう書くと、ホラー小説のようだが、そんな経験を著書『死の壁』冒頭で紹介しているのは、養老孟司さんだ。

 養老さんといえば7月5日、闘病生活を追った番組「私の往生際 養老孟司が見つめた“生と死”」(NHKスペシャル)が放送されたばかり。そこで語られていた死生観は、養老さんが長年解剖に携わってきたことと深く関係している。遺体を引き取りに行ったのも、東大で解剖学を教えていたころの話だ。

 何があったのか。以下、『死の壁』より抜粋してみよう。

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人が死なない団地

 私がまだ東大の解剖学教室にいた頃の話です。

 自殺の名所といわれる団地が都内にありました。そこに解剖のためのご遺体を引き取りに行ったことがあった。生前に献体に同意された方の遺体を私たちは解剖に使わせていただきます。そういう方が亡くなったとなると、私が遺体を引き取りに伺うのです。

 亡くなった方は団地の十二階に住んでいました。ご遺体の入った棺(ひつぎ)を持って通路を進んでいくと、その団地のドアは外開きだから住民がドアを開けるたびに遮られる。向こうはこっちを見て慌ててドアを閉める。

 そんなふうに進んで、いざ棺をエレベーターに載せようとしたら、横にしたままでは入りきらない。もっと低層の建物ならば棺を持って階段で降りることもできるでしょうが、十二階ともなると大変です。仕方が無いから、生きているとき同様に、立ってエレベーターに乗っていただくことにしました。棺を垂直に立てて載せて運んだのです。このときに、ここは人が死ぬことを考慮していない建物だと思いました。

 その後、実際にその団地を設計した人と話す機会がたまたまあり、そこで、この話をしました。すると彼は、

「あそこは若い夫婦が郊外に一戸建てを買うまでに住むところという想定で作ったのです。ある程度そこに住んでお金が溜まったら出て行くのです」

 と言う。

 やはり、設計者はそこで人が死ぬということを想定していなかったのです。しかし、いくら若夫婦が住むといっても、何千人も住む団地で人が死なないはずはありません。

 にもかかわらず、死を想定していない。これはまさに都市化の象徴ではないでしょうか。ここでいう都市とは自然の対義語として使っています。人間が死ぬということは自然の摂理です。

 都市はそういう自然を排除していくことで作り上げられました。人間の脳が考えたものが形となって現れたのが都市です。

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「死なんて忌まわしいもの、生活から排除して当たり前だ」と思う方もいるだろう。しかし、養老さんは次のように述べている。

「人生でただ一つ確実なことがあります。
人生の最終解答は「死ぬこと」だということです。
これだけは間違いない。過去に死ななかった人はいません。
人間の致死率は一〇〇パーセントなのです。
ガンの五年生存率が何パーセントだ、SARSの死亡率が何パーセントだと世間では騒いでいますが、その比ではないのです。
ところが、そのへんを勘違いしている人が非常に多い。現代人は皆、人は必ず死ぬと うことをわかっていると思い込んでいるけれども、どこまで本気で考えた末にわかっていると感じているのかは甚(はなは)だ怪しいように思えます」

 養老さんならではの死生観については新潮QUEで配信中の【「自分の死についてあれこれ考えても仕方がない」 Nスペが闘病生活を追った「養老孟司」さんの独自の死生観】でさらに詳しく読むことができる。

デイリー新潮編集部

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