『ブルー・ライト・ヨコハマ』が大ヒット 作詞家・橋本淳さんの「全てを言わない奥ゆかしさ」【追悼】

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 物故者を取り上げてその生涯を振り返るコラム「墓碑銘」は、開始から半世紀となる週刊新潮の超長期連載。今回は5月21日に亡くなった橋本淳さんを取り上げる。

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「ごく普通の言葉で場面を切り取る」

 橋本淳さんの名を知らずとも作詞した「ブルー・ライト・ヨコハマ」は聴き覚えがあるだろう。1968年、いしだあゆみさんが歌い、150万枚を売り上げた名曲だ。筒美京平さんの作曲による斬新なリズムと物憂げなメロディー、いしださんの声もあっての大ヒットだが、橋本さんの作詞の魅力が凝縮されている。

 情景描写は“街の灯り”“ブルー・ライト”程度。二人の恋模様もはっきり分からない。最小限の言葉なのにしゃれた場面が浮かび、心情が伝わってくる。

 音楽評論家の増渕英紀さんは振り返る。

「歌詞でストーリーを表現するより、ごく普通の言葉で場面を切り取る。説明的にならず聴く人がさまざまに想像し解釈できるのです。歌詞中の“小舟のように”という短い例えだけで、揺れる女心、今の幸せに潜む陰りや不安定さなど複数の要素を見事に表現してしまう。全てを言わない奥ゆかしさがあります。愛の色合いには寂しげなブルーを使う。言葉の選び方が秀逸で、浮かび上がるイメージを大切にしていました」

“ヨコハマ”とカタカナで表したのは現実の横浜ではないからと考えは誠実。着陸間際の飛行機から眺めたカンヌの夜景の美しさに目を奪われたのが発想の原点だという。心に残った出来事を土台に空想と融合させて歌詞を生み出した。

日本オリジナルのポップス

 39年、東京生まれ。本名は与田準介。父は著名な児童文学作家で童謡の作詞でも知られる与田準一さん。わが子を作家にしたいと、檀一雄や梅崎春生の元へ書生に出した。そこで橋本さんが得た経験は物事の捉え方やイメージの膨らませ方の支えになったという。

 青山学院大学在学中、作曲家のすぎやまこういちさんと出会う。大学でジャズバンドの一員なら大丈夫、といきなり作詞を託された。卒業後も付き人をしながら作詞に応じ、鍛えられた。

 音楽評論家で尚美学園大学名誉教授の富澤一誠さんは語る。

「すぎやまさんは洋楽の模倣ではない日本オリジナルのポップスを作り、世界で通用するミュージシャンを出そうと動き始めた。それを作詞面で支えた先駆者が橋本さんです。日本のポップスの歴史を見渡す時、橋本さんの果たした役割はもっと高く評価されていい」

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