『ブルー・ライト・ヨコハマ』が大ヒット 作詞家・橋本淳さんの「全てを言わない奥ゆかしさ」【追悼】
人気作を次々に
スウェーデンを訪れた際、古城を改築したホテルに宿泊した経験から作詞したジャッキー吉川とブルー・コメッツの「ブルー・シャトウ」が67年に大反響を呼び、日本レコード大賞を受賞。森の暗闇を“夜霧のガウン”と例えるとは幻想的で美しい。
青学の1年後輩でバンド仲間だった筒美さんを作曲の世界に引き込んだのは橋本さんだ。このコンビで「ブルー・ライト・ヨコハマ」が誕生。二人はその後も平山みき「真夏の出来事」(71年)など人気作を次々と世に出す。作曲に歌詞が映える工夫があり、ヒットは筒美さんのおかげだと橋本さんは語っていた。
音楽評論家の湯川れい子さんは思い返す。
「何かを具体的に主張した歌詞ではないのに、心に響いて残り、口ずさめました」
想像力と空想力
次第に寡作となるものの、2002年には「亜麻色の髪の乙女」が島谷ひとみのカバーでヒットし、改めて詞が注目された。長男の与田春生さんは音楽プロデューサーとして活躍している。
21年、師のすぎやまさんが他界。橋本さんは当時、本欄の取材に〈要求水準が高かった。性格は穏やかなのですが、仕事に没頭する姿には狂気すら感じましたね〉などと率直に話し、作詞家に導いてくれた恩を忘れていなかった。
5月21日、肝硬変のため86歳で逝去。
約2000曲を手がけた。作詞では等身大を描くより、もっと自由に深く人間の心と行動を表現してほしい、想像力と空想力が必要だ、と後進に求めていた。
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