日韓W杯で史上初のベスト16進出も…トルシエジャパンの主将「森岡隆三氏」が背負った「思い出したくもない」トラウマ 

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71分間のW杯出場で感じたこと

 この日も森岡氏はベンチで戦況を見守ったが、降り頻る雨の中で始まった試合は、前半12分にウミト・ダバラ選手のヘディングが決まり、日本は劣勢に立たされる。

「トルシエ体制となり、コーナーキックから直接失点したのはおそらく初めてだったのではないでしょうか。セットプレーを起点に奪われたことも、数回しかなかったと思います。落ち着きのない序盤にやられてしまったことに、勿体無さは感じましたが、そこは世界最高峰の舞台、当然スカウティング、研究もされていたと思うし、きっちり仕留めてくるトルコは流石だと思います」

 対する日本代表も、この日FWとして先発した三都主アレサンドロ選手のバー直撃のFKを始め、相手ゴールに迫るも、得点には至らず。この試合に0対1で敗れた日本代表はベスト16敗退に終わり、主将として臨んだ森岡氏のW杯も、1試合71分間の出場で幕を下ろした。

「試合に向かう時に見た真っ青に染まったスタジアムや、スタンドから見ていたロシア戦で、ツネの素晴らしいカバーリングや得点を決めたイナ(稲本潤一)のパフォーマンス、チュニジア戦のモリシ(森島寛晃)のゴール。そして歓喜に沸くロッカールームや、トルコに敗れてグラウンドを回り挨拶した光景……。怪我もあり、ちょっとメンタルやられていたせいか、それとも自分もそれなりの年になったせいかは分かりませんが、記憶が曖昧であまり多くを覚えてないんですよ」

思い出したくも散々な一年

 日韓W杯をそのように振り返る森岡氏は、その後も不調に苦しみ、結果として9月に手術をすることになる。11月に復帰を果たしたものの、今度は高熱に見舞われて入院を強いられ、本調子とはほど遠い「思い出したくもない散々な1年」を過ごした。

「元旦の天皇杯優勝で幸先の良いスタートを切り、ワールドカップでも活躍して素晴らしい1年になるだろう、そう期待をしていたけど、そうはいかなくて。W杯以降も調子の良い時のイメージばかりが先行してしまい、本当に悶々としていました」

 森岡氏がW杯の呪縛から解き放たれたのは、京都サンガに移籍を決断した2007年のこと。この年チームのJ1昇格に貢献した森岡氏は、サッカー人生で初めて嬉し涙を流したという。そしてチームのJ1残留を見守った翌年に、森岡氏は引退を決断。2018年からはクリアソン新宿のクラブリレーションズオフィサーに就任、2025年からはアカデミーヘッドオブコーチングも兼務し、後進の指導にあたっている。
「決して順風満帆なサッカー人生ではありませんでしたけど、日本代表の一員として過ごした日々は、僕の視座を本当に高くし、可能性を広げてくれた最高の場所でした。『その僕の経験を少しでも伝えられたら』との思いで、若い選手たちと日々向き合っています」

 今年も4年に1度のW杯が、12日未明(日本時間)に幕を開ける。世界最高の舞台で戦い抜いた選手たちの経験は、今も大切な財産として語り継がれている。

第3回【「フラット3の申し子」森岡隆三氏が明かす「日韓W杯」までの秘話…「3人のDFが阿吽の呼吸で動けるようになるまでトレーニングを積み重ねたんです」】では、元サッカー日本代表の森岡隆三氏に、自らのサッカー人生を改めて振り返ってもらい、さらに、将来の日本代表を目指す次世代に向けた思いについても伺いました。

ライター・白鳥純一

デイリー新潮編集部

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