派手な捜査も、アクションもない…「古畑任三郎」が再評価されるワケ Netflix配信で大ウケ
かつてフジで放送
かつてフジテレビで放送されていた人気ドラマ「警部補 古畑任三郎」が、6月1日からNetflixで配信されて話題だ。SNSでは、ドラマの見どころや魅力について思い入れたっぷりに語る人が続出している。【ラリー遠田/お笑い評論家】
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三谷幸喜が脚本を手がけ、田村正和が主演を務めたこの作品は、当時から高い人気を誇っていたが、いま見返してもその面白さはほとんど古びていない。むしろ、配信時代の視聴者にとっては、現在のドラマには少なくなった独特の緊張感や濃密さが新鮮に映るかもしれない。「古畑任三郎」の魅力を一言で言うなら、それは「演劇的」なドラマだったという点である。
「古畑任三郎」は、事件捜査を主題にした一話完結型の刑事ドラマである。だが、この作品には大がかりな捜査劇も、派手なアクションも、凄惨な犯罪描写もほとんど存在しない。作品の中心にあるのは、古畑と犯人の会話である。
通常の推理ドラマでは、犯人が誰なのかは最後まで隠されていて、視聴者は探偵役とともに真相に近づいていく。だが、「古畑任三郎」では、話の冒頭で犯人と犯行の大部分が明かされる。
視聴者は「誰がやったのか」ではなく、「古畑がどのように犯人を追いつめるのか」に注目して見ることになる。犯人がすでにわかっているからこそ、視聴者は犯人の心理、古畑の視線、会話の微妙なズレなどに集中して物語を楽しむことができる。
この点で、「古畑任三郎」はテレビドラマでありながら、演劇に近い構造であると言える。舞台の上で俳優同士が向かい合い、言葉を交わし、その言葉の微妙なズレや沈黙によって関係性が変化していく。
古畑と犯人は、ただ情報をやり取りしているわけではない。犯人は自分の犯行を隠すために言葉を選び、古畑はその言葉の選び方に違和感を覚える。犯人が平静を装えば装うほど、そこに不自然さが生まれる。古畑はそれを見逃さず、何気ない質問を重ねていく。
田村が演じる古畑というキャラクターの強さも、演劇っぽさを際立たせている。古畑は現実感のある刑事らしい刑事ではない。独特の髪型、姿勢、服装、仕草、話し方。どれを取っても不自然で極端である。
だからこそ、彼は登場した瞬間からその場の空気を変える。普通に立っているだけで、そこが古畑の独壇場になる。これは、キャラクターが物語上の役割を超えて、1つの「型」として完成しているということだ。
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