日本人にサッカーの歓喜と悲劇を教えた「98年」「02年」のW杯を振り返る…初めて渋谷スクランブル交差点でファン同士のハイタッチが交わされた日

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スクランブル交差点を絶叫しながらハイタッチ

 だが、この時の経験が2002年の日韓大会に繋がった。98年当時のメディアは開幕前、「日本代表は強い!」と煽った。強豪アルゼンチンには負けるかもしれないが、クロアチアと引き分け、ジャマイカに勝てば勝ち点4で決勝トーナメント進出できるかも、と期待をもたせた。だが、あっさりと3連敗し、彼我の差を思い知らされたのである。

 その後日本代表の指揮を執ったのが、フランス人のフィリップ・トルシエ監督だ。ここに中田英寿と小野伸二と稲本潤一という中盤の才能がいたのに加え、「フラット3」と呼ばれる3バックのゾーンディフェンスとダブルボランチの3-5-2の布陣が機能した。DFは松田直樹、森岡隆三、宮本恒靖、中田浩二が務めたが、これが見事にハマり、初戦のベルギー戦は2-2の引き分け、第2戦のロシアは1-0で勝利、第3戦のチュニジアは2-0で勝利した。

 私はロシア戦を東京・築地の東京ニュース通信社の「テレビブロス」編集部で見ていたのだが、稲本の決勝ゴールをリアルタイムで見て大興奮。その後は編集作業が進み、作業終了後に新橋駅から東京メトロ銀座線で渋谷に戻って自宅に歩いて帰ろうとしたら、スクランブル交差点がとんでもないことになっていた。ロシア戦勝利から間もない時刻である。

 交差点を行き交う人々が走りながらハイタッチをしているのである。もしかしたら「ジョホールバルの歓喜」の時もこの光景はあったのかもしれないが、私はロシア戦の後に「日本代表が勝ったらスクランブル交差点を絶叫しながら走り、ハイタッチをする」というのを初めて見た。その後この儀式は続き、途中から混乱を避けるため「DJポリス」がやってくるようになった。

 日本代表は決勝トーナメントに進出するが、結果的に3位となるトルコに1回戦で負け敗退。だが、この時サッカー選手だけでなく国民も「我が代表チームは世界で戦えるようになったのでは」といった感慨を得たことだろう。

 2002年大会の決勝はブラジルvsドイツだったが、ドイツのオリバー・カーン、ミヒャエル・バラック(決勝戦には出場できず)、ブラジルのロナウド、リバウド、ロベルト・カルロス、ロナウジーニョらによる横浜での対決は「いつか我が国もこのステージに」と思わせるものだった。

 その後日本代表は決勝トーナメントの常連ということではないまでも、着実に進化を遂げ、今回のワールドカップに到達した。それも最初の2大会あっての話であろう。あの時目撃した渋谷・スクランブル交差点での歓喜のハイタッチ現象が、再び起きるのか。まずはオランダ戦を固唾を呑んで見守りたい。

ネットニュース編集者・中川淳一郎

デイリー新潮編集部

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