血液検査では「野生動物に近い数値」…サッカー元日本代表「岡野雅行さん」が“ジョホールバルの歓喜”の後にも食べた意外な“おふくろの味”

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エピソード満載の選手生活

 高校は全寮制の島根・立正大学淞南高校(当時は淞南学園松江日大)で色々な意味で“徹底的に鍛えられた”が、帰郷した時は、必ず鶏そぼろを作ってもらったという。高校を出て日大、そして浦和レッズに入団。さらに日本代表になるまで、岡野には意外なことや失敗がついて回る。

 高校3年の島根の地区大会決勝。松江商業とPK戦になり、5人目のキッカー、岡野が蹴って外して負けた。日大のサッカー部では、最初は洗濯係だった。新入生の時に陸上の授業に出て、100メートルをバスケットシューズで走ったら10秒8が出た。

 スター選手候補が何人もいる中で、1年最後の天皇杯予選でなぜかスタメン入り。FWのケガで出番が回ってきたのだが、ここで5得点をあげる大活躍。2年で大学選抜に選ばれた。

 3年の天皇杯。試合のことを忘れて飲み歩き、翌日は二日酔いで試合に出場。岡野はこぼれ球をボレーで決めて先制点、後半にはさらに4人抜きのゴールを決めた。そんな足の速さがスカウトの目に留まってJリーグの6クラブから声がかかった。

 入団した浦和レッズのキャンプ地はオーストラリアだった。暑い季節と聞いていたので、空港にはタンクトップに短パン、サンダル履きで出かけたら、チームメイトは全員スーツ姿でビックリ。その時「お前、野人だな」と言われたことはサッカー人生の決定的な出来事だったという。

 信じられないエピソードは、94年のヴェルディ戦。相手GKと激突して肺気胸と診断された。半年はプレーできない、手術が必要と言われ、手術前にレントゲンを撮られたが、医師が首を傾げる。なんと肺が回復していたのだ。

 また選手の血液検査が行われた時のこと。「ひとつだけおかしな例がありました。人間よりも野生の動物に近いような数値の人がいた」と医師に言われたという。

おまえは秘密兵器だ

 そして88年フランスW杯出場を賭けた、日本代表のアジア最終予選。マレーシアのジョホールバルで行われたこの試合で、岡野にはずっと出番がなかった。試合に起用されない理由を岡田武史監督に一度だけ聞きにいったという。『サッカーをあきらめない』から引用する。

〈「おまえは秘密兵器だと思っている」
 岡田監督は言った。
「秘密兵器、ですか」
「おまえの脚は武器になる。だからこそ、知られて警戒されたくない。我慢してくれ」〉

 運命のイラン戦は2対2で後半終了。勝負は延長前後半各15分のVゴール方式に持ち込まれた。その時に岡田監督が岡野に「来い」と言っている。城と呂比須、FWの二人のカードを後半の交代枠で切った段階で、もう俺に出番はないはず……。岡野は「嘘だろう」と思った。

 岡野は延長前半からピッチを走り回った。中田英寿からのパスを外し、シュートを躊躇して中田にラストパスも。しかし、延長後半13分、中田のシュートをGKが弾き、スライディングしてこぼれた球に右足を伸ばしたらボールがネットに吸い込まれていった。

 これが日本サッカーの歴史を変えた一発、ジョホールバルの歓喜だ。岡野は自身を「雑草」と呼ぶ。この時、雑草に神風が吹いたのだろうか。そして、「ジョホールバルの歓喜」から帰った岡野を、たみ子さんは鶏そぼろでお祝いしてくれたそうだ。

峯田淳/コラムニスト

デイリー新潮編集部

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